木の葉の里から少し行った所に橋の無い大きな河がある。向こう岸に渡るには一般人なら渡し舟で渡るしかない。泳いで渡るには距離がありすぎるのだ。
船着場には木の葉で運営している船着場がある。以前は民間で運営していたのだが、あまりにも料金が高くて渡れないと苦情が出たため、三代目火影が少々川幅が広いが、木の葉の里の近くに船着場を作ると、人はこちらしか利用しなくなり民間の方はつぶれてしまった。
船頭も柄はよろしくないが気持ちのいい連中を集めている。船はエンジンを嫌う船頭たちが手漕ぎで船をこいでいる。ただ、急ぎの客のために何艘かエンジン付きの船を用意していたが、急ぐ客は木の葉の忍に依頼して渡してもらう客が多かった。
ナルトは土手に座って膝をかかえ、ぼんやりと霞む向こう岸を見つめていた。その目には何の感情も無く子供らしさにかけていた。毎日ここに来ていた。何をするでもなく船着場が見える場所に座ってぼんやりと向こう岸を見ているのだ。晴れている日ははっきりと見える向こう岸だが、春なので霞がかかっている様に見える。
「よう」
隣に男が座り、ナルトに声をかけてくる。船頭の一人らしく日に焼けた肌に褪せた着物、頭にはタオルを巻いている。
チラリと目を向けたがまた再び向こう岸に目を戻すナルト。その顔には何の感情もあらわれてはいない。男は手に持っていた風呂敷を広げると中からおむすびを取り出した。
「どうだ? 腹へってねえか?」
握り飯の入った竹の皮を差し出すが、ナルトは静かに首を振る。
「お前、半日以上座りっぱなしじゃねえか。弁当も持ってきてねえみたいだし。腹、空いてるだろ?」
荒っぽい質問にぎゅっと膝を抱えてナルトは答えない。暫くすると男が頬張る握り飯の匂いにナルトの腹が鳴り、ナルトは真っ赤になってぎゅっと膝を強く抱え身体を小さくする。
「ほれみろ。空いてるじゃねえか! 子供が遠慮すんな!」
ぐいっとナルトの胸元に押し付けるので受け取るを得なくなり小さく礼を言うと包みを開ける。
「……いただきます」
「あ、おまえ、味噌汁とか欲しいか? 欲しいよな。そういや、茶もほしいよな。よし、それもってこっちに来い」
男の言いなりについて行くと船頭の詰め所らしき所に連れて行かれる。連れて来られたのはいいが、ナルトは立ち止まって建物を見上げた。
「ん? 何だ。遠慮すんなって」
中に入れば大人達がいる。ナルトは大人が、大人というよりは人が怖くて仕方が無かった。足がすくんで動けない。
「外がいいのか。よし、じゃあ、ここ座ってろ」
竹で組んだ椅子に座らせられる。待ってる間にもナルトはそわそわと落ち着きなかった。何時でも逃げられるように腰を浮かせて座っている。
「よう。待たせたな」
簡易の折りたたみテーブルをお盆代わりにして男が中から出てきた。上にはほかほかと湯気のたつ汁物椀と煮物とお茶が載せられている。
「今日はけんちん汁だった。まあ、食え」
何かがつめられていた木箱をひっくり返すと、男は椅子代わりに座った。
「いただきます」
再び挨拶してナルトは竹の皮から無骨な握り飯を両手で取り出した。無骨な上にでかい。
「おう、食え食え」
男はずるずると箸も使わずにけんちん汁を啜る。粗野だが悪い人ではなさそうだ。ナルトももそもそと握り飯を食べ始める。固い上にしょっぱい。
「すまねえな。仕事すっと塩分が足りなくてよ」
男はがははと笑って茶を勧めた。
「辰、中にへえって食えよ」
上司らしき男が戸口から顔を覗かせて声をかける。ナルトは一瞬肩をすくませたが、男の目に嫌なものが無かったのでそのまま様子を見ながら食べていた。
「んなヤニくせえとこより、こっちのが、気持ちいいって」
「なにいってんでぇ。そのヤニくせえ所で何時も飯食ってるすっとこどっこいが」
男の上司はパイプ椅子を持ってくるとナルトから向かって左側。詰め所とテーブルの間に入った。
「おやっさん。何もそんな狭い所に……」
「こっちのが落ち着くんだよ。坊主。これも食え」
男は手に持った羊羹の紙皿をナルトの前に置いた。口をもごもごさせながらぺこりとお辞儀すると、目じりにしわを寄せておやっさんと言われる男がナルトの頭を撫でる。
「こいつはは、辰三っていうんだ。俺は三吉」
「俺」
慌てて飲み込みながらナルトが名前を言おうとする。
「うずまきナルトだろ。知ってるよ。里の者ならな」
びくりとナルトは身体を硬くした。
「酷い事はしねえよ」
おやっさんが優しく笑いながら頭を撫でる。ナルトは不思議そうにおやっさんと辰と呼ばれる男を交互に見た。
理由はわからないが、里のものに恨まれているのは肌で感じ取っていた。最初ニコニコしていた者でも名前を明かすと掌を返したように態度が変わる。そういう思いを何度もしてきたのだ。男に対して警戒心を抱いても仕方が無いだろう。
「お前、何歳(いくつ)だ?」
おやっさんは胸元からキセルと両切りの煙草を取り出すと火皿に両切りの煙草を詰めた。
よく三代目が刻み煙草を丸めて詰めるのは見ているが、両切りの煙草をそのまま刺すのは初めてで、どうやって灰を落とすのだろうかとナルトは興味が沸いた。
「六歳」
「ちっけえなあ」
もっと食えとおやっさんは煮物の入れ物をナルトの前に置いた。
「……ありがとう」
その後も数人ほどナルトに声をかけてくれる船頭達はナルトの事を知っているのに、気持ちいい態度で接してくれた。柄は悪いのだが。
「里の者は何にもわかっちゃいねえのよ……」
おやっさんは煙草をふかすと地面に向かって少しキセルを斜めにすると手首をトンと叩いた。灰がほそりと落ちるのを、ナルトはそうか! と納得したように頷く。おやっさんの言葉が何を言ってるのかさっぱりわからない。
「ナルト、明日も飯くいに来い。明日はどじょう汁だぞ」
「ドジョウ? 食えるの?」
ナルトはにょろにょろとしたドジョウを思いだした。よくシカマル達とドジョウを捕まえに沼地に行くがあれをどうやって食うのか不思議でならない。食い物というよりは玩具みたいなものだ。といっても面白半分に乱獲してるわけではない。泥の中からにゅっと出るドジョウの仕草が面白くて沼地の縁でどんどんと飛んで振動を伝えて遊んでいただけだ。
「旨いぞ!」
午後の渡しの時間になったので、引き上げ時だと思いいとまを告げると、辰三の大きな声が後ろから聞こえる。
「明日もこいよー!」
ナルトは返事の代わりに立ち止まって大きく手を振った。
船頭達は皆気のいい連中で次第にナルトも打ち解けて色々話をした。
ただ、ナルトは時々ぼんやりと向こう岸を見てる。
「ねえ、向こう岸ってどんな?」
「向こう岸か? 街道が続いていてでっかい森を抜けると他所の里だ」
辰三は昼飯になる予定のジャガイモの皮を剥きながらナルトに答えた。
「ふうん」
そう答えるとナルトも果物ナイフでジャガイモを剥く。ナルトの手に合う包丁が無かったのだ。
「……向こう岸に行きたいか?」
辰三がそう聞くとナルトは顔を上げた。
「あんま遠く行くとじいちゃんに怒られるってばよ」
ニシシと笑う顔が作り笑いのような気がして辰三はそれ以上聞かなかった。
身体が向こう岸に行きたがっているのではなく、心が向こう岸に行きたがっているのだ。それは悲しい事だと思うのだが上手い言葉が見つからず辰三は黙って芋を剥く。
ナルトは時々喧嘩したといって怪我だらけで現れるが、拳やつま先に汚れは無い。一方的に殴られるのを受けているのだろう。その姿を見るたびに辰三は火影は何をしているのだと思ってやりきれなくなる。
「ほぅい」
河の方から物売りの掛け声が聞こえてきた。
「ほぅい!」
ナルトがなれた様に掛け声を返す。
船には途中の農家から仕入れた品や氷付けにされた海の魚が入ってる箱が載っている。
「早いけどえんどう豆が手にはいったんだ。皮ごと食える奴だけどどうだい?」
男はまだ若く菅笠をかぶってはいたが、日に焼けて歯だけがやけに白く見える。
「そいつもらうか。ついでに魚は何があるよ?」
「鰹だよ」
「じゃあ、それ、刺身にしてくれ。ナルト、小屋から大皿頼む」
「おう!」
刺身にしてもらうとツマに使いなと大根を一本おまけしてくれる。
その日の昼飯は豪華なものになった。
「そういやよ。本決まりだとよ。通達が来た」
おやっさんがそう言うと、船頭達は口々にやっぱりなと言う。知らないのはナルトだけのようだ。
「まあ、仕事の世話はしてくれるらしいし、出来上がるのに三年かかるそうだ」
「暴れ河だからな」
この河の事を言ってるらしい。この河は大雨や台風が来ると水かさを増し、流れが荒くなる。川幅が広い上に流れが荒れるので橋を作るのは不可能だという事で渡し舟があるのだ。
「何? 何だってば?」
ナルトが聞くと船頭の男が「橋だよ」と答えた。
「やっと丈夫な橋を設計する人間を見つけたらしい」
おやっさんが食後の一服を吸いながら答えた。
「でも、そうしたら、おいちゃん達の仕事どうなるんだってば?」
「無くなるな」
平然とおやっさんが答えるのに対し、ナルトは慌てていた。
「だ、駄目だってば。そんなの。橋作っちゃ駄目だってばよ!」
ナルトが一人が焦ったように言うが、他のみんなは落ち着いたものでのんびりと飯をかき込んだり、煙草をふかして一服している。
「まあ、前から言われてた事だしな。めでてえ事だ」
煙をゆっくり吐きながら答える。
「そういや、ナルト、おめえ、忍者学校に入学したんだって?」
「したってばよ」
言いながらナルトはまだオロオロしている。
「まあ、そう、ちょっとには出来ねえからよ。いまんとこ三年とは言ってるけど、あくまで予定だ。まだ三年もあるんだ。のんびり考えればいいって事よ。それより、めでてえことはいわねえとな」
複雑な顔でナルトは立っていた。自分一人が焦っていて馬鹿みたいだと思ったのだ。
「ありがとうよ。でもよ。橋が出来たら楽になるじゃねえか。おめえだって何時かは忍者になるんだろ? その橋とおって任務に行く事もあるだろうよ」
風は気持ちよくふいている。午後の一番の当番の男がごちそうさんと声をかけて食器を洗いに向かった。
「寂しい気も無いわけじゃないし、この話が出たときは反対する奴のほうが多かったけどな。客が嵐の後の水かさの増した河を恐々渡るよりは安全に渡れる橋があったほうがいいし、それに船が必要なのはこの河だけじゃねえ」
ナルトを安心させるためかおやっさんの口が優しく言葉が多かった。ナルトはそうなんだと思うと同時に寂しさがこみ上げてくる。
橋がかかる頃にはナルトは12歳になっていた。詰め所にはもうおやっさんと辰三と年老いた船頭の三人しかいない。下忍になってからは毎日とは行かなくなったが時々修行の成果を見せに通っていた。
「もうすぐだっけ。他の国にいっちゃうの」
岸に着きそうな所で辰三がほいっと船からリンゴを放り投げてきた。
「ああ。あと一月で橋が完成するからな」
エンジン付き船を止めると桟橋につける。
「寂しくなるってばよ」
「ははは。おやっさんとか引退だから木の葉にいるから時々訪ねればいい。俺のほうはおやっさんにでも聞けば所在がわかるようにしておくからよ。暇になったら遊びにこいや」
ナルトは黙って桟橋の端に立つと向こう岸を見つめた。最初にあった表情がその顔には浮かんでる。
「……俺さ、知っちゃったんだってば……」
ナルトの声が風に乗ってくる。
「何が?」
「俺の秘密」
強い風が河を渡ってくる。辰三はナルトの後姿を見つめていたが、近寄ってその頭に手を乗せた。
「河のむこうに行きたいのか?」
春霞で向こう岸は霞んでいる。
ナルトは小さく首を振った。
「いかねえってば」
「そうか」
「俺、負けたくねえんだってば」
「そうか」
「でも、昔は、河の向こうに行きたいって思ってた。意地悪されるの分けわからねえし、何やっても認めてくれねえし。誰も彼も俺の事嫌いだし。逃げ出したくてたまんねかったけど、イルカ先生とかじいちゃんとかおっちゃんたちとかカカシ先生とかサスケやサクラちゃんやシカマルやキバや他にも沢山俺の事嫌ってないっつか、認めてくれる人が出来たから。俺、ここいるってば」
ずいぶん大きくなったなあと辰三は思う。心も身体も大きくなったなあとナルトを撫でる。
「俺はここにいる」
ナルトはニカリと笑うと辰三を見上げた。そうかそうかと辰三はナルトの肩を強く叩く。
二人は暫く霞む向こう岸を見ていた。
おわり
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