ぱん!
ナルトは青空にシーツを広げる。
「嘘みたいだってばよ!」
晴天に負けないくらいの笑顔を浮かべながらナルトは日差しを手でさえぎった。
明け方に降った雨は今日は晴れないのではないかと危惧するくらい激しかったが、起きてみれば雲ひとつ無い快晴だ。
洗濯物が次々と青空に咲いていく。
空の洗濯籠を抱え、水溜りを軽快によけながら縁側に戻る。
物干しを振り返ると色とりどりの布がさわさわと風に揺れて、気分がよくて嬉しくなってしまう。
「うー……」
反対に家の中から似つかわしくない声が聞こえて、眉をひそめて振り返えるナルトの目に映ったのは、お化けよろしく這うようにカカシが寝室から座敷に出てくる所だった。
中央まで行き着く前に力尽きて、その場でごろんと仰向けになると情けない唸り声をまた上げる。
「もうやだ。俺、死ぬかも」
足音荒く近づき腰に手を当ててナルトはカカシを見下ろす。
ちらりと右目がナルトを見上げる。
「二日酔いで死んだ奴なんかいないってばよ」
「じゃ、俺、第一号」
台所への通り道ににごろんと寝転ぶので邪魔でしょうがない。
苦しいなら寝室で寝てればいいのに。
そうナルトは思うのだが、二日酔いだからと何時までもベッドにしがみついてる所を見た事が無い。何時も昼前には起きてきて居間あたりでごろごろと過ごしているのだ。
「先生、邪魔」
台所に向かうためカカシの背中軽く蹴る。
「愛が無いよ」
「何時も一杯だってばよ。俺は。先生こそないんじゃねえの?」
「そんな事! うわっち!」
叫んだとたん頭を抱え込むカカシを見てナルトは呆れた。
ほうって置くわけにもいかず、ため息をつき冷蔵庫をあける。液状の二日酔いの薬を取り出し、利くだろうかと眉を寄せる。
酒を飲んだ事がないので二日酔いの酷さがわからない。
無いよりはましでしょうとナルトは封を切る。
足音荒く戻るとしゃがみこんでカカシの額にかつんと薬壜を置く。
「いっ! ちょっとー何処に置くのよ。お前は。取り難いじゃない!」
少し飛び起きた。
大丈夫そうだなと、カカシの顔を覗き込んだ。
額宛の代わりにバンダナが巻かれて左目を隠している。普段はこうしてるんだなとナルトは一緒に住むようになってから判った。
判った事は沢山ある。
昨日みたいにあんまり飲んだくれない事、ご飯を食べる時は味噌汁から飲む事。結構おやじギャグを口にすること。案外日常は情けない事。
カカシは苦しそうに文句をいいながら、額から薬をおろす。
「……自業自得」
そうカカシに呟いて立ち上がる。
飲み会なのは知っていた。
べろんべろんに酔って帰ってきたカカシを見て驚いた。こんなに酔うくらいいやな事があったのかと胸を痛めだのだが、それは一瞬だった。
送ってきたアスマから珍しい旨い酒が入ってつい飲みすぎたと聞けば、呆れて正体不明に酔ってるカカシを、ぽこんとその場で殴った。
「寝てればいいのに」
拗ねたように言うと、カカシはのっそり起き上がってゆるゆると笑う。
「だって、ナルトと一緒にいる時間減っちゃうじゃない」
反則だってばよー!
ときめいてしまって慌てて顔を逸らす。恋愛は好きになったら負けだからな! と何時だったか冗談交じりにアスマが言っていたが、何だかナルトは最近負けっぱなしの気がしてときめいてしまった事に腹立たしくなったのだ。
「だったら、少しは加減して飲んで。迷惑かけないでほしいってば」
悔しいので憎まれ口をきいてしまう。
しょぼしょぼと萎れるカカシについナルトの口元が緩んだ。カカシのこんな情けない所を愛してしまう。
「先生、味噌粥どう? いける?」
台所から声をかけると、親指と人差し指で輪をつくるカカシ。食欲はあるらしい。
味噌粥はナルトの得意料理の一つだ。
味噌汁にご飯と卵を落とすだけの料理と呼べるものではないのだが、初めてカカシに作ったときに喜んで食べてくれたのが嬉しくて、得意料理にすることにしたのだ。
ナルトに笑顔を向けられ、カカシは居心地が悪そうにもぞもぞと身体を動かす。明後日の方を見て鼻の脇を決まり悪そうに掻く。
縁側の向こう側の物干し台に風に揺れる洗濯物が見えてカカシは目を細める。
平和だと錯覚してしまう穏やかな風景。
血のにおいを感じさせない時間。
包丁を使うナルトの背中を見て自然に笑みをこぼれる。
こんな時ナルトがいてくれてよかったという思いと、大好きでたまらないなという事を実感してしまう。愛してるとは照れくさくて心の中でも言えない。
カカシは赤くなった。
「……ちょっと風呂入ってくる」
くすぐったくて居心地が悪くて立ち上がり、痛む頭を抑える振りをして照れた顔を隠した。
幸せだよと口に出して言えない自分がとても恥ずかしかったのだ。
「ん」
ナルトが振り返り、おぼつかない足取りで風呂に向かうカカシの背中を見ると視線をまな板に戻す。
一泊遅くちらりと台所で葱を刻んでるナルトの背中に視線を走らせる。やぱり幸福感はごまかしきれないとカカシは柔らかい笑顔を浮かべ風呂場に消えた。
味噌粥だけじゃ寂しいかとほうれん草をおひたしをつくり、小茄子の浅漬けも添える。一つ小茄子をつまむと野菜の味にナルトはウェと舌をだした。
風呂場からは調子っ外れの気分よさそうな鼻歌が聞こえてくる。二日酔いは少し良くなったようだ。小皿で味噌粥の味を見ながらナルトが微笑む。いい出来だ。
かちんとコンロの火を消してテーブルに鍋を移す。
カカシが出てくる頃にはいい温度になってるだろう。
おひたしと小茄子を大皿に盛り付けナルトはエプロンを外した。
「ナルトー。おーい」
カカシが風呂場から大声で呼ぶ。どうせタオルが無いとかだろう。手間がかかるとばかりに足音荒くむかい、洗い場へのドアを開けと、首だけ振り返ってニヘラとカカシが笑う。
「なーに? 先生」
「頭洗って」
予想外の答えに瞬きを返すナルト。
「いいでしょ?」
子供のように笑いながらカカシが甘えた態度でシャンプーをナルトに差し出す。
大人だからと言ってめったに甘えてこないカカシにはとても珍しい事なので、ナルトはちょっと照れてぶっきらぼうに頷いた。
「いいけどさ」
ジーンズと長袖シャツの袖をまくりながら洗い場に入る。
「お風呂一緒に入らないの?!」
顔を戻したカカシがその様子を鏡で見て心底驚く。
その一言にナルトも驚く。
「え? シャンプーするだけだってば? 脱ぐ必要あんの?」
「いいけどさ」
今度はカカシがその台詞を返した。唇を尖らせて本当に子供みたいな態度だ。ナルトは微笑ましくて笑った。
わしゃわしゃと泡立てながらナルトの指が髪を洗ってゆく。
「どっかお痒いところございませんかってばよ?」
笑いながらナルトが尋ねるとカカシは少し考え込んだ。
「生え際かなー」
「せんせ、それって、やばくね?」
指の腹で生え際をマッサージするように洗う。シャンプーをするのは楽しい。カカシの髪を洗うのは頭を撫でている気分になる。
無防備にさらされている背中はナルトを信頼してると言ってるみたいで、それも嬉しい。
ふっと鏡を覗き込むと何か悪戯っぽい笑みのカカシと鏡の中で視線があった。
嫌な予感。
「ナールト」
ぎゅっと腰に抱きつくカカシ。避ける事も出来なかった。
「な!」
尚もカカシは泡だらけの頭を鳩尾にこすり付ける。シャツもジーンズも泡まみれになっていくのをナルトは呆然と見ていた。
「あ、ごめんねー。泡付いちゃったー」
とどめに頭からシャワーをかけられた。
ナルトは服を見て、カカシを見る。
嫌な予感を感じた瞬間、何故離れなかったのだろうと物凄く自分のあほさ加減にがっくりきた。途端に怒りがふつふつと湧き上がる。
「し、しんじらんねえ!!!!」
濡れて張り付く服をつまみながら、どうしてくれるんだとばかりにカカシを睨みつけるナルト。
「なんだってばよ!」
怒れば拗ねたようにカカシがナルトを見上げてくる。
「だって、ナルトとお風呂入りたかったんだもん」
怒りと恥ずかしさが同時に沸き起こって、頭部に血が昇った。
「信じられねえ!!」
時々信じられない事をするが、今がその信じられない事だ。ナルトにとって年上とか上司とかはどうでもいい。仕事の時はそれなりの扱いをするが、今目の前で甘えた表情で笑っているのは、ナルトの恋人のはたけカカシなのだから。
「今日、服、全部洗濯したんだってばよ! どーすんだよ!」
と怒りに任せて叫べば、
「全部? 馬鹿だねー」
とケラケラとカカシが笑う。そんな態度のカカシを見てさらにナルトの怒りがヒートアップしていく。
「馬鹿は先生だってば!」
怒りが突き抜けて涙が出てきた。
からかわれる愛情にまだナルトは慣れてない。経験もない。
嫌いで意地悪されてるとしか思えない。少し考えれば違うと判るのに怒りでその余裕もない。
「先生なんか大嫌い!」
言った瞬間ナルトの胸がずきりと痛み、その痛みにまた涙が出る。痛いくせに何度も胸の中でカカシを罵るので、止まらない。
「ナルト」
言葉と同時にカカシが再びお湯をかけられる。
「泣き虫」
「うるせーってば! 先生の馬鹿!」
感極まって風呂場のドアをあける。
「大好きだよ」
その言葉に振り返るとニヤニヤしてるカカシの顔が見えた。
「うそくせー。しらねー。もーしらねーってば」
「ほんと。キスしてくれたら判ると思うよ?」
「何で、キスしなくちゃなんねーんだよ」
「そりゃ、俺がナルト大好きだからにきまってんでしょ? 大好きじゃないな。愛してるかな?」
「……臭い台詞だってばよ」
不貞腐れた顔だがカカシを振り返ってその肩に手を乗せた。
「んー? 台詞じゃないよ。台本ないんだからさ。俺の言葉だよ」
からかうように笑うカカシをやっぱりうそ臭いと思いながら、ナルトは顔を寄せた。軽いキスだったが、カカシが食むように唇を動かしたので真っ赤になって慌てて離れる。
「ね? 俺の気持ちわかったでしょ?」
「ずっりーの……」
「どこがよ。ずるくないでしょ? 俺、素直にナルト好きっていってるじゃない」
「ずりーもん」
真っ赤になって拳で唇を拭う。
「ほら、服脱いで来なさいよ。一緒にお風呂入ろうよ」
無言でナルトは脱衣所に向かうと洗濯機に濡れた服を叩き込む。意地悪されてもやっぱりカカシが好きで好きでたまらない。
カカシに別れようといわれたら何をしでかすか判らないくらい好きで。
そう思うと涙が出てごしごしと涙を拭う。
ドアを開け湯船に浸り洗い場のカカシを無視する。
カカシは頭を流しながら湯船のナルトにチラリと視線を送った。
「怒ってる?」
覗き込むカカシから顔を背ける。
捨てられた子犬のように情けない顔をカカシがするので、ナルトは許してしまう自分に呆れながらカカシの場所をあけた。
「ごめん」
つむじに額をつけられる。ナルトが額をつけるまでずっとこうしているつもりだ。
「わかったってば」
根負けして額をこつんとぶつけるとそのままキスされる。ナルトの怒りでも溶かすように何度もカカシはキスをする。
終わりそうも無いキス。
恥ずかしくなってナルトはバスタブの縁に両腕を組んで顎を乗せてキスを終わらせる。
カカシは湯船の縁に背中をあずけて天井を見上げ何かを見つけた。
「あれ? あの光なんだろう?」
カカシの視線を追って天井を見上げると窓のスリガラスを通して光がゆらゆらと揺れている。
「みずたまりの光じゃねえの? 昨日雨降ったし」
「そっか。みずたまりか」
天井から目をもどすカカシと視線が合って、お互い照れくさそうに微笑んだ。
「ごめんね。俺の事捨てないでね」
ナルトは怒ったふりをしてふいっと顔をそらして、カカシを焦らせてやった。
おわり