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● 素直になりたい  ●

 アカデミーの校庭。
 夕暮れ。
 照れたように笑顔を浮かべてイルカが立ち止まる。
「十六歳になったら、俺の嫁さんにならないか?」
 夕日のせいなのかイルカが自身が真っ赤なのかわからないくらい顔が赤くて、その照れをごまかすように頭をかいていた。
「だって、先生。俺。俺の腹の中には」
「知ってるよ。でも俺はお前が好きだし、お前といると幸せなんだ」
 目頭が熱くなった。
「そりゃ、歳は下手すりゃ一回り違うけどさ。一緒にいたいって思うし、幸せにしたいって思うんだ」
 イルカの言葉はびっくりしたと同時に嬉しかったが、ナルトはイルカを異性として見てなかった。
「お前が俺をさ、お父さんとか、兄ちゃんとかそーいう風に思ってることも知ってる。でもな、俺はお前を女として見てるし、幸せにしたいよ」
「だって、先生、俺、俺」
「返事は何時でもいい。ただな。男として意識して欲しかったから、告白したんだ。あーすっきりした」
 大声でイルカが笑う。ナルトは真っ赤になって俯く。嬉しくて目元に涙が滲んだ。でも、ナルトは別な人が好きなのだ。
 イルカと一緒になればナルトの望むものが約束されてる。理解ある恋人、幸せな時間。なのに「はい」と即答出来ない。
 ナルトは違う人が好きなのだ。
 カカシの顔が思い浮かんだ。
「まだ十四歳だもんな。こんなおじさんじゃ不服だろうとおもうけどさ、ちょっと考えてくれよ」
 ナルトは一度頷いて目元を拭った。変な感じだ。今まで父親とか兄とかと思っていた人から告白を受けるのは。くすぐったいような、それ以外の感じがするような。
「あー腹減ったな! ラーメン食っていくか!」
 涙を拭って見上げたイルカの顔は知らない男の人の顔に見えた。ナルトはいつもどおり元気に返事をするかわりにコクンと頷いた。

「ほら、血が出てるってばよ!」
 ナルトが差し出した応急処置用のガーゼにカカシはちらりと目をくれただけで顔を背けた。
「何だってばよ! もう! ほら、顔よこせ! 目の上切れてるじゃねえか!」
「自分で出来る」
 カカシはナルトからガーゼをひったくると血が出てると思われる所に押し当てる。剥ぎ取られたナルトは不満そうに頬を膨らませてる。
「ほらほら、喧嘩しないの」
「だって、サクラ先生!」
「はいはい」
 ニコニコ笑っているのを見てナルトははっとして言葉を止めた。サクラは怒らせると怖いのだ。その恐怖を嫌と知ってるナルトは恐々とサクラの顔色を伺う。怒って無いようでほっと胸を撫で下ろした。
「仲良くね。さ、今日の任務は終わりね。皆解散!」
 ぱんと手を打つとサスケが無言で帰っていく。咄嗟にナルトはカカシの腕を掴んで素早く耳打ちする。
「送ってやれって」
 どんっとカカシの背中を叩く。
 カカシが睨みつけてくるのをナルトは無視した。
「サスケー! カカシが送るってさ!」
 ぶんぶんと手を振ると無表情にサスケが止まってこちらを見る。
「ほら、チャンスだってばよ! 早く!」
 ぐいっとカカシを押し出すと一睨みしてサスケの方に歩いていく。
 二人の背中を見送ってナルトはぶんぶん振っていた手を寂しそうに降ろした。
「いいのー? 好きなんでしょ? カカシくんの事」
「わ! 先生まだいたってば?!」
 すうっと拳を持ち上げるサクラに思わず「すいませんでした」とナルトは平謝りする。それから二人が歩み去った方向を寂しく見つめて笑う。
「先生。だって、俺、九尾はいってるし、下忍だし、二歳も年上だし。同い年のサスケの方がお似合いだって! 家柄だってつりあい取れてるし。それにほら、サスケ美少女だし!」
 さすが俺のライバルだってばよ! と、ニシシと笑っておどけて見せる。
 風が二つに結い上げた髪をさらさら流していく。寂しい顔をするとナルトは酷く大人びた顔になる。
「ナルトだって可愛いじゃない」
「あーあ。今度生まれてくる時はサスケか先生みたいな美人に生まれたいってばよ」
 ナルトはごまかすように笑って急いでいるからとサクラに向かって手を振った。
 ナルトの容姿もサクラやサスケに見劣りしてはいない。顔はまだ子供顔なので美人というよりは可愛いい感じだし、ナルトがおどけて顔を崩すからそう見えないだけだ。
 ナルトが自分からおどける理由をサクラは知っている。知っているから胸が痛くなる。気持ちを知られたくないから。
「素直になりなさいよ」
 駆けていく後姿にサクラは声をかけた。

 今日の任務は森のゴミ拾いだ。ナルトがぶーたれているとカカシのツッコミがはいる。サスケは軽く鼻を鳴らしつまならそうに横を向いた。
「はいはいはい。さっさとやらないと日が暮れちゃうわよ」
 手を叩いて追い立てる。
「じゃあ、私はちょっと他の任務があるので夕方くらいにまた来るわね。いい? サボったら拳骨よ」
 にっこり微笑むサクラにその場の空気が凍った。サクラの拳骨は地面も軽く割ってしまうのだ。その現場を目の当たりにした子供達には洒落にならない。恐々返事をすると方々に散っていく。
 森の中は清々しくてナルトは大きく深呼吸した。が、所々に捨てられているアルミ缶やビニール袋を目にして眉をひそめた。
「どうしてポイ捨てするんだってば」
 文句を言いながらトングで拾って後ろの籠にほおりこむ。暫くすると籠いっぱいになったので、朝の集合場所に戻りゴミを分別してビニールにつめていく。
 すでにゴミの詰まった袋が二つそこにあり、ナルトは焦った。年上の自分が年下二人に負けるわけにはいかない。
「がんばるってばよ!」
 天才忍者、天才くノ一。ドベの自分。アカデミーの卒業試験を歳若く卒業してしまった二人と二回も卒業試験に落ちてしまったナルト。
 考えると気が滅入ってくる。きゅっと唇を噛むとナルトは再び森の奥に向かった。
 その手鏡はゴミと一緒に落ちていた。漆塗りの赤い手鏡で裏面には綺麗な模様が描かれている。ゴミにしては変だなとナルトは拾い上げた。鏡は地面に伏せられるように置いてあったせいか表面が汚れて物をはっきりと映さない。汚れてはいるが、ひょっとしたら誰かの落し物かもしれない。
「あー昼飯食べ忘れたってばよ」
 サクラの鳴らす呼子に気がついてナルトは顔をあげた。丁度なった腹をさすりながら立ち上がる。最後に拾った手鏡を手に持つと集合場所に戻った。
 サスケとカカシがもう戻ってる。
「遅いわよ!」
「すまねえってばよ!」
 ナルトも籠を下ろし、仕分けをしようとして手の手鏡を思い出した。
「サクラ先生! これ、何か落し物っぽいんだけど!」
 ぶんぶんと鏡を振り、汚れを落とそうと袖で表面を拭く。
「お、綺麗になるってばよ」
 一箇所だけ綺麗になったところを覗き込めば、輝きだした満月が背後に映ってる。
「今日満月なんだ」
 突然光が鏡からあふれ出した。
「わ!」
「!」
 咄嗟に鏡から離そうとカカシの手がナルトの腕を掴む。
 かっと閃光が走ったと思ったときには、ナルトの前には四分の三も顔を隠した男がびっくりしたようにナルトを見ていた。
「ナルトが女の子になった?!」
 わたわたと右往左往する男にピンクの髪の少女が「落ち着いてください」と言い聞かせる。
 どこかで見たことがあると首をかしげると腕に痛みが走った。痛みに眉をしかめてそちらを見るとカカシが驚いたように目の前の二人を見ている。
「俺? サクラ先生?」
 言われて見れば確かにそっくりだ。
「落ち着け」
 慌てる男に対して、冷めた低い声が聞こえてそちらを向けば。
「サスケー?!」
 どこからどう見ても男のサスケがいた。
「何だってばよ!」
 ナルトの頭はパニックになっていた。

 突然鏡が光ったと思ったらナルトとカカシが立っていたという。説明を受けながらナルト達はここが自分たちの世界ではないと感じた。ちらりとカカシを伺えばマスクのせいで表情が読めなくて冷静なように見える。その様子に、動揺しまくっていたナルトだが平静な振りをしようと勤めたが、態度に出てそわそわと落ち着きが無い。
 不思議体験は良く人から聞いたり雑誌で読んだりテレビでみたりするが、まさか自分が体験できるとは思ってなかった。
「あの、何だってばよ」
 大人のカカシがずっとナルトの頭を撫でるので不振そうに見上げれば、感極まった様子でいきなりナルトに抱きついてきた。
「ぎゃー!!」
 ナルトの悲鳴に、すっとカカシの目の前にクナイが当てられる。子供のカカシが目に怒りをたたえてカカシを睨んでいた。気にした風でも無く大人のカカシはナルトを抱きしめて頬ずりする。
「あーナルトはどんなナルトでも可愛いなあ」
 語尾にハートマークが飛びそうなうきうきした口調で言うが、周りの空気は険悪になっていく。
「先生、セクハラです」
「うすらとんかちを離せ」
「……」
 三人三様で攻めるのでカカシは名残惜しそうにナルトを離した。
「後でデートしようね」
 マスク越しに頬に唇を落とせば、仔カカシのクナイが真っ直ぐにカカシを狙ってくる。
 相手はカカシなのだが、大人のカカシで雰囲気も見た目も違う。ナルトは複雑な心境だった。こちらの世界のカカシはナルトの事が大好きでそれを隠そうともしない。何なんだこの人と思うと同時に羨ましいなと思った。
 知らない世界少しだけ違う人々を見て不安だったが、年下のカカシが平静なのに自分が不安になってどうすると言い聞かせて背筋をしゃんと伸ばす。
「おやまあ、俺のナルトより背が高いのね」
 俺のナルト。
 自分の事ではないが、ストレートな言い方に頬が染まった。
「いい加減にしていただけませんか? ハラスメントですよ」
 かばうように大人のカカシとナルトの間に子供のカカシが割り込んでくる。
「第一、こちら側のナルトは男の子の様ですが?」
「え?」
 思わず声を上げてしまった。女の子だと思いこんでいたのだ。
「最初に言ってただろう。女の子になってしまったって。つまりこの世界のお前は、男なんだ」
「おとこ」
 という事はこの大人のカカシは同性愛者となる。カカシを見上げるとニコリと微笑まれた。あんまり笑顔が優しいのでナルトはどきりとして頬を染めた。
「とりあえず火影様の所にいこうね。あ、ややこしいからさ、俺の事は「先生」って呼んでよ」
「先生……」
 ナルトが口の中で繰り返すと「なぁに?」と首をかしげて聞き返される。
「火影様の所に行くんでしょ?」
 カカシが睨みを聞かせると、やれやれとふざけて先生は首を振った。
「じゃあ、行こうか」
 走っていくのかと思っていたが、カカシはゆっくりと歩き出す。
「サクラ、サスケ。今日は解散」
 二人にちらりと目を向ける。
 変な感じがした。
 
 三代目火影は一服するとナルトとカカシをじっと見つめた。
「心配はいらん。次の満月には向こうに帰れるからの」
 前からたびたびこんな事が起こるのだという。
「この鏡は封印しようとする度に、何処かへ消えてしまうのでな。ほっておいても入れ替わりするだけなので特にこれといった害はないしの。まあ、次の満月までこちらの世界を楽しむがいい」
 暢気に三代目が言うがナルトは不安でしょうがない。三代目の隣に立っているイルカと目が会うと微笑まれたので、ナルトは微笑返した。
 どんとわき腹に衝撃を感じて目を向けると、カカシの肘がわき腹に入っていた。唇を尖らせて抗議しようとしたが、三代目の前なのでぐっと唇を噛みしめる。
「まあ、それぞれ住んでる所は一緒だろうからの。カカシはカカシと住む事になるが。任務は七班で行動。よいな」
「「はい」」
 二人揃って返事をする。部屋をイルカとカカシと一緒に出るとナルトは改めてイルカを見上げた。優しい安心させるような笑顔が向けられてほっとする。
「しかしまあ、良くナルトにお色気の術で女性のナルトは見たことあるが、女の子だとこうなるんだな」
 そういって頭を撫でるので、くすぐったそうにナルトは目を細める。
「イルカ先生。セクハラ行為ですよ」
 カカシが冷たく言うと「おっと」と声をかけてイルカは手を離す。出会い頭に撫で回しキスまでした男に言われたくない言葉だ。
「ごめんな。何時もの癖で」
「いいってばよ!」
「次の言葉は一楽か?」
「うん!」
 軽く頭に拳骨を落とされて叱られる。ナルトはイルカに甘えていた。面白く無さそうに二人のカカシが二人を見ている。子供のカカシはふいっと顔を背けつつもちらちらと二人を見ているし、大人のカカシは嫉妬を隠そうともしないでイルカを睨んでいる。
「よーし! といいたい所だけど、今日は用事があってな。また今度連れて行ってやるよ」
「えー!」
 笑いながら手を振ってイルカが去っていく。しょんぼりとナルトはイルカを見送った。
「ラーメンだけじゃなく野菜も食べなさいよ」
「えー! ノーサンキュー! 俺、野菜嫌い!」
 先生が言うのにナルトは大きくばってんを腕で作って首を振る。
「……忍にあるまじ事だな」
 嫌味たっぷりにカカシが言うのでむっとしてナルトはそっぽを向く。大人のカカシに言われてもどうとも思わないが、カカシに言われると腹が立ってしょうがない。一々嫌味が混ざっているのは気のせいではないだろう。サスケとも仲はよろしくないが、カカシとは最悪だ。なのに何故好きになってしまったのだろうと自分の心が不思議でならないが、もう関係ないと慌てて首をふる。
 いくら好きでもカカシとは付き合えないのだ。
 カカシが自分を目の敵にしてるからとかそういう理由ではなく、ちゃんとカカシと付き合えない理由があるのだ。カカシは年下だから九尾の事を知らない。判ってしまった時や付き合ったとしても回りが九尾のナルトとの交際を祝福してくれるわけがない。
 だから今の関係はありがたかった。ナルトの一方的な思いを断ち切るだけで方がつくのだから。
「じゃあ、先生たちバイバイだってばよ!」
 飛ぼうとするとぐいと髪を引かれた。
「痛い!」
 カカシがツインテールの片方を掴んでいる。
「何すんだってばよ! 首折れるじゃねえか!」
「そんな柔な鍛え方してる首なら折ったらどうだ?」
「お前が! 髪を引っ張らなかったらいいんだよ!」
 地面を踏みしめてナルトが真っ赤な顔でわめきたてるが、カカシはそ知らぬ顔で横を向いていた。
「なんだってばよ! 俺は帰るからな!」
「まあまあ、ご飯一緒に食べようよ。一人で食べるよりおいしいよ。俺、料理上手いし」
 先生が目を細くした。両目が出ているカカシより半分以上顔を隠しているカカシの方が表情豊かである。
「じゃあ、俺の家いこうね」
 文句を言う前に小脇に抱えられ、先生が地面を蹴った。一瞬にして視界が開ける。後ろにカカシが続く。
 ナルトはちらりとカカシに目をやる。無表情なカカシの顔からは何の感情も読み取れなかった。

 見せてもらったナルトは自分より少し幼かった。背もサスケより低く見える。
「小さい」
「十二歳だからね」
 食後のお茶を出しながらカカシ先生はナルトの横に立つと見ていた写真を覗きこむ。
「この位しか身長ないんだよ」
 そう言って胸元辺りに手を置く。その小ささにナルトは改めて驚きの声をあげた。
「それが悩みの種で毎日牛乳は飲んでる。ただ、賞味期限は気にしないらしくてさ、安売りの牛乳買っては期限切れして、しょっちゅうおなか壊してる」
 くすくすと思い出して微笑む。先生は本当にここのナルトが好きなんだなとナルトはくすぐったい気持ちになって微笑んだ。別のアルバムを見ていたカカシは、先生を一瞥すると眉を寄せ再びアルバムに目を戻す。
「これ、任務中のね。犬捕まえようとして噛まれちゃった時の奴。それとこれはねやっぱり任務で」
 よっぽどおかしかったのだろう。カカシは口元を押さえて笑いを噛み殺していた。
「先生はナルトが本当に好きなんだってばね」
「違うよ」
「え?」
 即答されてナルトは眉を寄せた。ショックだ。嫌ってる風には見えない。もしこれで嫌っているなら、相当な意地悪か演技力の持ち主である。
 ふざけたように笑いながらカカシはこっそりとナルトに耳打ちをする。
「愛してんの」
 言ってから照れたように大笑いした。あっけにとられたが、ナルトも照れたように大笑いする。
 カカシ先生って可愛い!
 ナルトは先生に対して好感を持った。恋愛感情は絡んでないが人としてとても好きだ。
「しかしまあ、自分の事を本当に好きなんだねって、えらい告白だね」
 何のことかわからなかったが、自分もナルトだという事に気がついて見る間にナルトの顔が真っ赤になる。こちらのナルトと別に見ていたが、ナルトはナルトなのだ。
「え、ちが、こっちのナルトだってば!」
「本当?」
 ちょっとからかう所がいただけないが。
 柱の時計を見上げてナルトはその時間に慌てた。
「帰らなくちゃ!」
 もう十二時近い。慌ててアルバムを閉じてばさばさと写真をかき集める。
「ああ。そのままでいいよ。どうせ帰ってきたら整理するから」
「ごめんってばよ」
 脱いでいたジャケットを着るとカカシ先生も椅子にかけてあったベストに袖を通した。
「遅いから送るよ」
 カカシが立ち上がろうとするのを「留守番してて」と言うとカカシは面白く無さそうに顔をゆがめ、何か言おうとして口を開きかける。
「二人で行ってもしょうがないでしょ?」
 ぴんっとカカシの額の前で軽く指をはじくとカカシはよろよろと後ろによろけてソファーに沈み込んだ。
「お邪魔しましたってばよ。じゃーな。カカシ」
 サンダルを履き終えるとカカシに手を振る。カカシは驚いたように目を大きく見開いていた。軽い力でよろけたのがよっぽどショックだったのだろう。訳知り顔で先生が笑顔を見せる。
「じゃ、行こうか」
「送ってくれなくても大丈夫だってば!」
「だーめ。女の子なんだから」
 その言葉にナルトは照れた。向こう側では女の子でも年上だからと同じ班では優しくされた記憶はない。もっともナルトが気を使ってカカシに「送っていけってば!」とサスケを押し付けてしまうからなのだが。
「あ、ありがとう」
 照れくさそうにお礼を言うと、どういたしましてとばかりにカカシ先生が笑う。
 ナルトの肩を軽く押すとそのまま外に出た。
 少しだけかけた月が道を照らしている。
 道々馬鹿なことを話しながら家路を急ぐと、いきなりカカシ先生が耳元に口を寄せた。
「カカシの事好きなんでしょ」
 否定しようとして顔全体が真っ赤になってしまう。こんな顔では否定しても説得力がない。観念したようにこくりと頷くとカカシは「やっぱりね」と腕を組んで頷いた。
「でもね、好きになっちゃいけないんだってば」
「何で?」
「カカシはあの、知らないから」
 九尾の事を濁して言うと先生がくしゃりと頭を撫でてくれる。
「それは辛いね」
 カカシ先生の手が優しく頭におかれると涙があふれた。
「こっちの世界が良かったな」
 でもそうするとカカシに会えない。ナルトが好きなのは自分より年下の顔をあわせれば喧嘩ばかりしてしまうカカシである。
「でも俺は君たちの方が羨ましいね」
「どうして?」
「二歳しか離れてないじゃない。しかも男女だし」
 カカシは切なそうに微笑む。
「お互い辛いってばね」
「まあね」
 何となく二人で手をつなぐ。恋愛感情とか男女とかそういう感情はいっさいなく、人のぬくもりを確かめたくなったからだ。
「……でも俺は諦めなくちゃならないんだってば」
「諦めちゃうの?」
「うん。やっぱさ、恋愛って一方通行って成立しないんだってば。俺が好きなだけでさ、趣味だって会話だって一つもかみ合わない。会えば喧嘩ばっかりだし」
 それに九尾の事を知られて嫌われるのが怖い。
 何も言わずにカカシ先生はナルトの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「いい女だね。お前」
「まあね」
 月を見上げながらナルトは涙を拭う。
 
 さわやかに目が覚めた。大きく伸びをすると寸足らずのシャツがめくれる。パジャマは小さかったので少し大きめのシャツを着て眠ったのだ。
 下着と着替えを買わないとなと思うが、持って来た財布の中身を思い出してちょっと気が重くなった。文句を言わずに任務をこなしていくしかない。服は夜洗って干せば良いが下着は買わないとまずいだろう。
 台所に向かい朝飯の支度をしようとすると窓のほうからノックの音が聞こえた。カカシが大きな紙袋を抱え手を振ってる。
「先生!」
 ナルトが気がつくとがらりと窓を開けて入ってきた。後ろからカカシが目を逸らしながら入ってくる。
「いい眺めだけど、ちょっと刺激強いかな」
 ちらりと先生はカカシに目をやり真っ赤になって照れているカカシを見て苦笑する。お色気の術で慣れているナルトにはどうってことないが、カカシは見ないようにしている。
「あー。ごめんってば。パジャマが小さすぎて」
 カカシの態度に恥ずかしくなって足を隠そうときゅっとシャツをひっぱる。
「朝早くからごめんね。これ、着替え。紅とアンコのおさがりだけどさ」
 はいと持っていた紙袋を渡され、中を見ると服が詰まっていた。
「うわー助かるってばよ! 俺、着替えどうしようかと思って」
 後は下着だけである。
 そういえばカカシはどうするのだろうと気になってカカシの方を見ると先生がにっこり微笑んだ。
「カカシのは俺が着ていたのがあるからねー」
 あ、そうかーとナルトは納得して頷いた。
 紙袋の中にかなりの数が入ってる。中には袖を通していないと思われるビニールに入ったままのワンピースも入っていた。
「早く着替えれば?」
 不貞腐れたようにカカシが呟き自分と先生を後ろ向きにさせる。
 ハーフパンツの服はアンコのらしい。ナルトにしては着ないような服だがこちらを選んだ。紅の方も当ててみたのだが、胸が物凄く余って情けない気分を味わう。
「こっち向いてもいいってばよ」
「なんだか新鮮だなー」
 振り向いて開口一番先生がそう呟き、じろじろと上から下までナルトを眺め、うんっと頷く。
「さて、朝ごはん食べようか。カカシ。袋かして」
 ビニール袋を不貞腐れたように先生に差し出す。
「作るってばよ」
「いいのいいの。趣味みたいなもんだしさ。それにかってしったるナンとやらで、ここの台所使い慣れてるのよ」
 鼻歌交じりに台所に先生は立つとテーブルの上に材料を広げた。
「泊まりに良く来るってば?」
「まあね」
 嬉しそうに目を細めながらカカシが振り返る。会った時から思ったのだが、何故先生は片目を隠しているのだろうかと思う。聞こうとするが切欠がつかめない。
「ベッド狭くない?」
「その分、くっついて寝れるでしょう?」
 フライパンに油を引いて余計な油をキッチンペーパーでふき取る仕草は手馴れたものだ。趣味というのも嘘じゃないのかもしれない。
 カカシに椅子を勧め、ナルトは身支度を整える。ブラシが無かったり洗顔フォームが無かったりと色々足りないものがある。髪はとりあえず手ぐしで軽くすく。ツインテールが出来なくて二つに分けると肩の所で結んだ。
「ごちそうさまだってばよ」
 のろけにナルトがそう答えると
「まだ食べてないじゃない」
 先生がおどけて答えるのにナルトは笑い声を返した。カカシは枕元にあった巻物をとってきて読んでいる。
「はい、出来たよ。カカシ巻物しまいなさい」
 椅子が足りないので床にトレーを置く。簡単なものだったが、あの時間に三人分作るとは確かに手馴れている。
「じゃあ、いただきます」
 先生の号令に二人とも手を合わせる。
「何か床に座ってみんなで食べるのって、楽しいってばね」
 ナルトが胡坐をかいてニシシと笑う。
「皆でご飯食べるのは楽しいよね。珈琲どうぞ」
 礼を言って受け取るとナルト好みの甘い珈琲でびっくりしたが、こちら側のナルトもこの味が好みなんだろうなと思うと納得した。
「ちゃんとした朝飯って久々かも」
「だらしないな。女のくせに」
 カカシの言葉にむっとして睨みつける。
「いいの。どうせ、俺女じゃねえし」
 不貞腐れてパンを頬張ると先生が親指で口元を拭ってくれる。そのまま指を舐めるのでナルトは真っ赤になった。
「十分女の子じゃない。可愛いし」
「でもがさつだしさ」
「元気って事でしょ。今時いないよ。元気な娘って」
 本当は先生の言葉が嬉しかったが、カカシの手前拗ねたように口を尖らせた。
「髪、今日はツインテールにしないの?」
「え? ああ。うん。ブラシが無くてさ」
 カカシは黙々と食べていた。何で好きになったのかなと不思議でならない。優しくもないし趣味も合わないし。
「その髪形も似合うね」
「先生、口上手すぎだってばよ」
「本当にそう思うから言っただけだよ」
 それが口が上手いんだっていうの! ナルトは心中で突っ込みを入れる。こちらのナルトはこんな台詞を聞いてどういう反応をしているのだろうと改めて先生を見る。
「なに?」
「なんでもねえってば」
 だとしたら凄い幸せだよなとため息がこぼれた。こぼしてからそういえばこちらのナルトは男だっけと思いだす。言われて嬉しいのかどうかは判らないが悪い事ではないから嬉しいだろう。
「あ」
「ん?」
 片目を隠している理由を教えてもらうには今しかない。
「あのさ、先生って」
「そろそろ時間なんじゃないですか?」
 いいタイミングでカカシが口を入れてくる。思わず心の中でカカシを怒鳴りつけ、実際には睨んだ。
 食べ終えてパンくずを払ってるカカシと目が会う。
「お、そうだね。まあ多少遅れても大丈夫だとは思うけど」
 その多少が何時間か二人は判っていないので、ずいぶんのんびりした人だなと思った。だから集合時間から五分くらい遅れてついた時のサクラとサスケの驚いた顔を見て何事が起こったのかと二人も驚いたのだ。カカシが遅刻魔だと言う事をサクラから聞いてひょっとして今日、カカシが声をかけなかったら危ないのではないかと冷や汗を浮かべる。
「七班、到着しました」
 三代目が受付で七班を迎える。その横にはイルカもいてナルトは思わずほっとした笑顔を見せた。
 カカシが書類を受け取り内容を子供達に伝える。いつもならノーサンキューと言いたい任務だが、下着と財布の中身を考えてナルトは黙って頷いた。
「ああ。それからナルト」
「なんだってば?」
 三代目に声をかけられナルトは小首をかしげる。
「おぬしはイルカの手伝いをしてもらう」
「え?」
「「駄目です!」」
 ナルトの声とカカシ達の声がかぶった。驚いてそちらを見ると先生とカカシが同じポーズで立っていて、ああ、同じ人間なんだなと思わず心の中で笑ってしまう。
「……基本的にフォーマンセルだからの」
「ああ、わかたってばよ」
 カカシ達の事を無視して三代目はナルトに話しかけた。イルカの方に行こうとすると、ぐいと腕が引かれる。
「?」
 振り返るとカカシがひいていて驚いた。てっきり先生が引いてるとばかり思ったから。
「なんだってば?」
 驚いて問うとはっとしたように手を離す。
「ひょっとして、心細いのか?」
「そんな訳ない!」
 からかうように訪ねれば真っ赤になって反論してくる。
「ナルトー。俺は寂しいよー」
 ぎゅっと先生に抱きしめられて、またかーと苦りきった笑顔を浮かべる。
「はいはい。先生、任務行きますよ」
 ずるずるとサクラに首根っこを掴まれて引きずられていくのをナルトは手を振って見送った。カカシがちらりとナルトに視線をよこす。ナルトが微笑むと怒ったようにふいっと視線をはずした。
 
 任務はアカデミーの図書室の本の整理で、単調で思わずあくびが出そうになったがイルカの手前なのでぐっと噛み殺す。
 今日は下着を買っていかなくてはならない。出費を考えるとため息が出る。
「何だ? 疲れたのか?」
「あ、そうじゃねえってば」
 慌てて首を振る。
「そろそろ休憩にするか」
 イルカはニコニコと微笑みながら持っていた本を棚に戻した。
「やった!」
 やっぱり休憩したいだけじゃないかとたしなめられると舌を出して悪戯そうに笑う。
「お茶淹れるってばよ」
「お、気が利くな。いい嫁さんになるぞー」
 イルカの言葉にナルトは真っ赤になった。ごまかすようにばたばたと給湯室に向かうナルトの後姿を見送りながらイルカも照れて鼻の横をかいた。あまり女性にお世辞を言う事は無いが性別は違えども元教え子だ。つい気軽に言ってしまったが女性なんだなあと照れてしまう。
 お茶のボタンを押しながらナルトはドキドキしていた。
 こっちの世界でも、イルカ先生はイルカ先生なんだな。
 そっと胸を押さえる。笑顔と言葉が蘇ってくる。
 アカデミーの校庭。夕暮れ。照れたように笑顔を浮かべて立ち止まるイルカを思い出す。
 あの日からイルカは男になった。今まで出来ていた事も簡単に出来なくなってしまう。こちらのイルカにあった時も意識してしまった。
 思い出しながらトレーに二つお茶を載せる。
 中途半端だなとナルトは自分が情けなかった。カカシを一方的に好きなだけで相手からは何とも思われていない。ひょっとすると蔑まれてるかもしれない。何故想いを断ち切って「はい」とイルカの胸に飛び込めないのだろうか。
「先生、おまたせ!」
 思いを吹っ切るように声をかけると、少し照れたようなイルカの笑顔がまた甘い痛みを胸に呼び起こす。
 帰ったら、いいよって返事しようかな。
 その笑顔を見ながらナルトは心の片隅でいい加減カカシへの思いを断ち切ろうと考えていた。

 アカデミーの校庭でナルトは空を見上げていた。
 月はまだ丸い。
 次の満月まであと三十一日ある。
「どーしました。かぐや姫」
 声のしたほうを見れば長い影を引いて先生とカカシが歩いてくる。
「かぐや姫?」
「東の国のお話で、竹から生まれたかぐや姫と呼ばれる姫が月に帰るお話」
「へぇ」
「そのお姫様が月を見ながらしくしく泣いて言うのよ「次の満月の晩には帰らなければなりません」って」
「帰りたくなければ帰らなくていいってばよ」
「そうもいかないんだよね。両親もいるだろうし、姫って呼ばれるからには沢山の人が彼女の帰りを待っていたと思うよ」
「つらいってばね」
 ぽんっとナルトの頭に手を置いて先生も月を見上げる。
「しかも彼女はその時のその国の王様と恋仲」
「かわいそうだってばよ!」
 カカシはつまらなそうに地面に目を向けていた。
「成長が早すぎたからきっと地上ではすぐに死んでしまう人種だったのかもね」
「……そう」
 ナルトは月を見上げていた。風が彼女の髪を持ち上げる。
「俺に惚れてみちゃう?」
 笑いながら言われてナルトは頬を膨らませた。
「ナルトに告げ口メモ残してやるってば!」
「あ、うそうそ。ごめん。それだけは許して!」
 両手を合わせて先生がぺこぺこと謝るのをナルトは大笑いした。
「……きっと、そのお姫様は身を引いたんだってばよ。すぐ死んじゃう自分じゃ王様の側にいれないから。さ、帰るってばよ」
 ぱん! 手を打つとナルトは商店街の方に足を向けた。
「今日は何にする?」
「今日も先生たちとご飯?」
「大勢で食べたほうが楽しいよ」
 カカシの顔を見て俯く。
 一緒にいれる時間が多いのは嬉しいが、一緒にいれる時間の分だけ辛くなる。
「ご飯は大勢のほうがいいってばね」
「そうそう」
 陽気な先生の声に何故か泣きたくなった。
「今日は、やめとく。買うもんあるし、やっぱ一楽に行きたい!」
「えー」
「……慣れたくないんだってば」
 小さな声で呟いてナルトは悲しく笑う。
 いるのが当たり前の時間に慣れたくない。きっとそれは幸せな分だけ傷になる。
「つきあうよー」
「下着売り場にこれるんならいいってばよ!」
「いけるよー」
 ナルトは先生に向かって思い切り舌を出して商店街の方に駆け出した。
「バイバイ! また明日だってばよ!」
 にっこりと微笑んで手を振れば、二つの人影が手を振り返す。先生は予想できたがカカシまで振り返してくれるとは思わなかったのでナルトはちょっと驚いた後嬉しくて笑った。
 
 下着もパジャマも買った。
 ブラシも洗顔フォームも買った。
 かえようのゴムも買った。
 痛い出費だ。
 昨日の任務で多少はお金は入ったが元に戻ればもう既にあるもので必要の無いものばかりだ。
「大体、ブラシ無いなんておかしいってばよ」
 ペン立らしきところからコームは見つけたがブラシは何処を探しても見つからなかった。
 洗顔フォームは男だから仕方が無い。
 ベットの上に色々広げて見ていると窓から音がした。
「?」
 顔をそちらに向けると先生と目が会った。後ろにカカシの姿を見つけて真っ赤になる。
 慌てて集めてビニール袋に押し込む。
「こーんばんは」
「こんばんはじゃねえってばよ! 一体なんだってば!」
「おやすみ言おうかと思って」
 にこにこして先生が窓から入ってくる。カカシはどうしたものかと窓枠に腰を降ろしていた。
「可愛い下着かったんだねえ」
 見られてた! 咄嗟に枕を掴んで先生に投げつけるが受け止められてしまう。
「かわいいねー。下着見られたくらいで照れて」
「変な言い方すんなってば!」
 怒鳴り返すと先生の目が切なく歪んだ。
「……さすが、本人」
 どうやらこちらのナルトと重ね合わせたらしい。
「何にしても、夜分遅く女性の部屋訪ねて下着の話しをするのはハラスメント行為だと思うんですが」
 カカシが先生に突っ込みをいれる。
「あら、まじめねえ」
「あなたが不真面目なんです」
「女の子に興味ないの?」
「!」
 カカシが見る間に真っ赤になっていく。
「男しか興味ないとか」
「ちが!」
 言いかけて口を押さえて真っ赤になって俯く。こんなに動揺したカカシを見るのはナルトは初めてかもしれない。可愛いとナルトはくすくす笑った。
「帰る!」
「あらま。カカシが帰ると二人きりだねえ」
 その言葉に窓枠に手をかけたカカシの身体が止まる。
「帰んないの?」
「ど、同僚の危機に帰れるか!」
「んじゃ、俺は帰ろうかな」
 さすが、先生。自分の事は自分で良く分かるらしくからかうツボも心得ている。
「まあ、顔も見れたし。帰るよ。お休みね。カカシはどうするの?」
「い、一緒に帰ります」
 真っ赤な顔でむくれてカカシが返事をする。
「あれま。折角エッチのチャンスなのに」
「寝首かきますよ」
「怖い怖い。じゃ、おやすみー」
 ひらひらと手を振って先生がが窓から出て行く。一拍遅れてカカシも窓枠に手をかけ、思い出したように振り替える。
「……おやすみ」
「おやすみってばよ……」
 少し目があったのはナルトの気のせいなのだろうか。
 カカシの意外な面が見れて嬉しくなった。
「何しに来たんだってばよ」
 弾んだ声で呟いてブラインドを閉め、枕を拾い上げるついでにテーブルの上に買い物袋を置く。
 カカシの事を思い出すと眠れそうにも無かった。

 やっと月が半分になった。
 こちらでやる事もあちらでやる事もそう変わりがなく、ただちょっと違うのは先生が会いに来てくれるからカカシと一緒にいる時間が増えた事と、七班で行動できないからイルカと一緒にいる時間が増えた事。
 下限の月と言うのだと先程一楽で別れ際にイルカが教えてくれる。
 丁度半分に割った形で綺麗に半分になるものだなと感心して空を見上げて歩いていた。
 七班は今日から国外任務で二、三日帰ってこれないらしい。
 カカシが見れなくて切ない。
 その考えにナルトは慌てて頭を振る。
「向こうに行った俺はもっと寂しい思いをしてるんだってば」
 ナルトにはカカシがいるが、向こう側に行ったナルトは一人きりだ。こっちのカカシがあんなだから切なくてたまらないだろう。しかもナルトより年下だというのに。
 俯いてとぼとぼ歩くと寂しさが増してきた。橋の上で欄干に肘をついて月を見上げる。
 カカシも見てるかな。
 同じ月を見てればいいなとナルトは思う。
 
 カカシは月を見上げていた目を戻す。
 寝る前の少しの自由時間。一人になりたくて見かけた岩山に上った。足をぶらぶらさせて腰掛ける。
「いい場所見つけたね」
「!」
 先生の声に思わず警戒してしまう。
「隣いい?」
「……どうぞ……」
 嫌なのを隠そうともしないで返事をするのでカカシは苦笑した。
「嫌なら、嫌っていいなさいよ。素直じゃないねえ」
「……」
 カカシと同一人物とは思えない。
「だって、断っても座るでしょ」
「正解」
 隣に腰を降ろすとマスクを引きおろし、後ろ手をついて空を見上げる。
「ナルト何してるかなあ」
 またか。
 カカシは先生をにらみつけた。
 視線に気がついて先生が顔をカカシに向ける。
「お前のナルトじゃないよ。俺のナルト」
「お、お前のって、な、な」
 瞬間真っ赤になってカカシに言い返そうとするが、動揺して頭が回らないし口も回らない。
「お前はいいなあ。ナルトの側にいれて。俺のナルトはいま、一人ぼっちだよ」
「あ、あんたの気持ちと一緒にしないでください!」
 真っ赤になって立ち上がる。
 ぐっと拳を握りカカシを睨みつける。
「何が?」
「お、俺は、ナルトをど、同僚としか見てません!」
「ふーん。まあ、座りなさいよ。別に呼び方なんかどうでもいいでしょ」
 先生の態度にカカシは毒気を抜かれてすとんと腰を降ろす。
 その様子を見てカカシは喉の奥で笑った。からかいたいのは山々だが、これ以上からかって意固地になられても困る。自分の事は自分で良く分かる。
「明日には木の葉につけるね」
 二日がかりの国外任務。ナルトがいれば喜ぶだろうなと先生は寂しい笑いを浮かべて俯いた。あまり木の葉から出た事無い子だったから国外任務を物凄く楽しみにしていたのだ。
「どうしてナルトが好きなんですか? こちらのナルトは男の子でしょ?」
「運命」
「は?」
「運命とか宿命とかそんなのぶっ飛ばすって心意気とか、まあ一生懸命なのが可愛いというか。はじめは、そんな気持ちで近づいたわけじゃなくて気がついたら愛してたというか」
 四代目の遺産とか九尾とかカカシはまだ知らないだろうと、それは口にしなかった。
「お前達が羨ましいよ」
「はあ」
「二歳しか違わなくてしかも男女。俺なら手段選ばないで物にしてる状況だね」
「下品ですよ」
 大声で先生は笑った。再び月を見上げる先生の顔は切そうだった。
「何で歳も離れて、男同士なんだろうね。俺かナルトが女だったらまた運命は変わっていたかな」
 膝を抱えてカカシは黙っている。
「でも、ナルトだから良かったのかもしれない」
 カカシに聞かせるというより自分自身に言ってるようだった。
 暫く二人で月を見上げていた。
「さ、早起きして木の葉に早く帰るために寝るよ!」
「はい」
 先生の後をついていきながらカカシはちらりと月を振り返りナルトを思い出した。
 何をしているのだろうと思うと胸が痛む。
 
「今日の任務はイルカ班と十班と一緒です」
 先生の言葉にナルトの胸が痛んだ。七班の班員ではなくなってしまった。イルカ班という新しい班員だ。
「さっすけくーん! 今日はよろしくね!」
「離れイノブター!」
 イノとサクラがサスケをめぐって熾烈な争いをしている。
「今日はよろしくお願いします」
 イルカはアスマとカカシにぺこりとお辞儀をした。礼儀正しいなあとナルトが笑う。
「おお。本当にナルト、女の子だ!」
 チョウジが珍しく食べ物以外に興味をしめして話しかけてくる。
「しかも俺より背がたけえぜ」
 シカマルが隣に立って背を比べる。
「いったい、こっちの俺ってどんくらいの身長なんだってば」
「こんくらいか?」
 シカマルが自分の胸ぐらいを掌で示す。
「小さすぎだよシカマル」
「めんどくせえからいいよ。まあ、こんくらいだ」
 今度は肩ぐらいを示す。ナルトはシカマルのいい加減さに苦笑いを浮かべた。悪い意味ではない。物事にこだわらない所がシカマルらしいと思っているからで、こちらの世界でもシカマルはシカマルだから笑ったのだ。
「はい。今日は公園の警備。イベントが二つ開催されてるからな。迷子の捕獲に酔っ払い退治。乱闘になったらすぐとめろよー」
 カカシが暢気に言う。
「あーあれだ。班で二人ずつ分かれてもらう」
「えー俺、ナルトとがいい」
 アスマの言葉にすかさず先生がナルトのパートナーに立候補する。
「わがまま言うんじゃねえ」
 アスマはぴしゃりと言った。
 サクラが勝ったというようにイノを見るのでイノは悔しそうに拳を握っている。
「俺の班は俺とナルトだな」
「うん」
 先生が睨んできた。気のせいか悔し涙が見える。ふっとカカシと目があって逸らされた。
「まあ、組み合わせは各班で決めるって事で」
 サクラは念願どおりサスケと組めて幸せそうだったが、イノと組んだシカマルはとばっちりを受けそうだ。
「じゃあ、東の方から回るか」
「わかったってばよ」
 何だかデートみたいだなとナルトは少しドキドキした。
 迷子を見つけてイルカと両側から手をつないでいると、結婚したらこういう風なのかなと考えて頬を赤らめる。
 迷子センターにあずけて再び見回りに戻ると、イルカは困ったような笑顔を見せた。
「あはは。まいったな。泣き喚かれて」
 別れたくないとイルカとナルトの手を握って子供が泣き喚いたのだ。困った末に影分身を二人は残してきた。忍者でよかったと思う瞬間だ。
「先生ってばさすが、子供の扱いに慣れているってば」
「まあ、普段が普段だからな。まだあの子はおとなしいほうだ」
 じろりと睨まれてナルトは舌を出して笑う。笑ってからこっちのナルトの事だと気がついて苦笑する。
 イルカはいい意味でこちらのナルトとナルトを区別しない。こちらのナルトを見る視線でナルトを見てくれるのでナルトもいつも通り接する事ができる。
「まあすぐに親が見つけてくれるさ」
 こくんとナルトが頷く。
「喧嘩だ!」
 その声に二人は走り出す。人の頭を飛び越えて現場に駆けつけると先生とカカシが立っていた。沈静化させたらしい。
「お疲れ様です」
 イルカが声をかけると、ナルトを見つけた先生が両手を広げたのだが、ナルトはその後ろのカカシに目を奪われた。
 拳から血が流れてる。
「怪我してるってばよ」
 ポーチからガーゼを取り出してカカシの手を取ると押し当てた。
「ああ。酔っ払いが割れたビール瓶振り回してたからね」
 先生の言葉が終わるか終わらないうちにカカシがナルトの手を払った。
「カカシ、怪我の手当て」
「年上ぶって親切の押し売りするな。こんなの自分で手当てできる」
 ずきん。
 顔の傷を手当てをした事を思い出した。その前にも手当てした事を思い出す。
 カカシはずっとそう思っていたのだろうか。
「カカシ」
 強い口調で先生がカカシの名前を呼ぶが、カカシの目は真っ直ぐにナルトを見据えたままだ。
 頬に濡れた感触がする。
「あれ?」
 泣くつもりは無かったのに、壊れたように涙が止まらない。
「あれ?」
 涙を拭いながら涙が信じられないと言う様に受け止めた掌を見る。
「あ、ごめん。えと。ごめん」
 ナルトは謝るとその場から飛んだ。
 先生とイルカの声が聞こえたが止まる気は無かった。
 任務放棄だってばよ。
 拳でぐいぐい涙を拭いながら森の中を走る。
 泣きながら走るので気管が詰まってすぐに胸が痛くなるが、ナルトの足は止まらない。
 嫌われてるのは判っていたが、実際その一片に触れてしまうとこんなにも胸が痛くなるのかと実感する。
 泣くための秘密の場所。ナルトは必死にそこを目指していた。
 鬱蒼とした森の中。割と幅のある川にナルトはつまずいて頭からダイブした。浅い川底に手をついて起き上がるとそこに座り込んでワンワン泣き出した。
 川底で出来た擦り傷が見る間に治っていく。
「ナルト」
 くしゃくしゃの泣き顔で振り返るとイルカが息を切らして立っている。
「なんで知ってんだってば」
「馬鹿。お前泣くと何時もここに来てただろ」
 するりと頭を縛っていたゴムが片方取れた。
 イルカが手を伸ばす。
「そんなところで泣くな」
「センセー」
 イルカは膝を付くと濡れるのも構わず抱きしめてくれた。
「泣いてもいいから一人で泣くな」
 きっとどこの世界のイルカも同じ言葉を言ってくれるだろう。ナルトはイルカにしがみつく。
「せんせえ」
 肩にぎゅっと顔を押し付けてナルトは泣く。声を上げないように泣き顔を見られないように。
 鋭い声を上げて鳥が何羽か飛び立った。

 先生は呆れたようにカカシを見る。
「あのさ、馬鹿だなって自分思わない?」
「思いません」
「……そーいう所が馬鹿だよね」
 ふいっとカカシは目を逸らした。先生はため息をついた。
「誰かにとられちゃうよ」
「そー言う関係じゃないです!」
 剥きになってカカシは否定する。
 見回りは先程のよっぱらい以外これといって大きな揉め事もなく、イベントの一つは既に終えもう一つのイベントもあと一時間で終わるようだ。
「あのさ、俺にまで気持ちごまかしてどうすんのよ」
「ごまかしてません」
「ごまかしてるよ。判るよ。自分の事は自分で良く分かる」
 立ち止まって顔を上げるとカカシは先生をにらみつける。
「あなたじゃありません」
「はいはい」
 意固地な態度のカカシに苦笑して先生は歩き出した。すれ違いざまにぽんっと肩を叩く。
「後悔しないならいいよ。自分で正しいと思うなら」
 カカシはじっと先生の背中を見詰めていた。
 ざわざわとした人の声が耳障りに感じる。
 
 三日前の見回りの任務は任務放棄と言う事になり叱られてしまい報償も無しだが、仕方が無い。とばっちりを受けたイルカには悪い事をしてしまった。
 先生は毎日会いに来てくれるが、カカシは見ていない。ナルトも顔をあわせ辛いので助かってはいるのだが。
「ナルトいる?」
 罰で一人で書庫整理をしていたナルトは、先生の声に積み上げた本の後ろからひょいと顔を覗かせた。
「先生」
「お、いたいた」
「何?」
「任務」
 ぺらりと依頼書をナルトの前に突きつける。
「俺、今日罰で書庫整理言われてるんだけど」
「任務の方が優先。ちゃーんと火影さまの許可もあるよ」
 良く見れば達筆な赤い筆で「許可」と大きく書かれている。
「でも」
 カカシの顔を思い浮かべナルトは返事を渋った。
「大丈夫俺とお前だけの任務だから」
 お見通しかと苦笑すると持っていた本を傍らに積み上げて立ち上がる。
「じゃ、行こうか」
 先生は時々振り返ってナルトに微笑みかけてくれる。その度にカカシの面影がちらついてナルトは俯いて歩く。
 他から聞けばどうって事が無い言葉なのだが、ナルトにとってはとても傷つく言葉だった。言葉を思い出すたびに胸が痛くて痛くてたまらなくなる。
「到着」
「写真屋さん?」
 先生の声に顔を上げるとショーウィンドには家族の写真やポートレートが飾られてある小さな写真屋さんの建物が目に入った。
「カカシ?」
 そのショーウィンドの中に家族と映っているカカシを見つけまじまじとナルトは見てしまう。日に焼けて幾分変色している。
 先生の写真かと気がついた。
 あ、サクモおじちゃんとおばちゃん。
 サクモが映っている。亡くなった時は大泣きした。カカシが九歳の時に自害してしまったが、小さい時良く遊んでくれて、まるで本当の父親のように慕っていたのだ。
 あの頃まではカカシとも仲良く遊んでいた。
 懐かしくなって写真を見ながら微笑んでしまう。
「ナルトー」
「おう!」
 呼ばれたので慌てて中に入ると、細面の丸眼鏡をかけた男がニコニコ笑って立っていた。見た感じ先生より十は年上に見える。実際そうなのだろう。首元と手のしわを見てナルトは判断した。どうしても年齢が隠せない場所なのだ。
「ここの二代目」
「おーカカシの嫁さんか」
「そう」
 説明が面倒なようで先生は否定もせず頷く。
「あんなにちっこくて可愛いかったのにな。今はこんなおっさんになっちまって」
 嘆くように男はため息をついた。
「ちょっと任務で来たのよ俺たち」
「だな。じゃあ、場所移動するから」
 二代目はよいしょとジュラルミンのカメラバックと三脚を持った。
「おう。カカシ坊か」
「おじさん坊は止めて下さいよ」
 奥から額の秀でた初老の男性が顔を覗かせる。ナルトを見ると少し眉をしかめたのでナルトは俯いた。
「おお。すまんのー。ワシ、目が悪いから。別にお前さんの事嫌ってしたわけじゃないから、気にせんでの」
 言われてナルトはほっとしたが、やはり心を完全には解放できない。
「ホテルの方で撮影するからさ。アシが先行ってセッティングしてる」
 行こうと言われてナルト達は店を後にした。
「あの、どういった任務だってば?」
 依頼書にちゃんと目を通さないで任務を受けてしまったのでナルトは急に不安になって先生にこっそり尋ねた。
「ん? 秘密写真撮影会」
 先生が幾分大きな声で答えたので二代目が馬鹿言ってるんじゃないよと睨みつける。
「結婚式場のパンフレット用の写真のモデルだよ。もっとも相手はこの胡散臭いおっさんね」
 先生を指差す。
 苦りきった顔で先生が笑う。
「俺にとっては秘密写真ね。ナルト女装でもさせないと写せないからさ」
「でもパンフレットじゃ秘密じゃないってばよ」
「うん。まあ、願望」
 困りきったように笑うとポケットに手を突っ込んで背中を丸めて歩き出す。
 ナルトは何となく判った気がした。
 こちらのナルトを好きなのだろうが、相手は男。公に出切るものではない。一度くらいはナルトがもしくは自分が女性だったらと考えた事もあるはずだ。
 写真が秘密ではなく、先生の心が秘密なのだ。
「……じゃあ、俺も秘密写真だってばよ」
 先生を見上げて笑顔を見せる。
 もし、カカシが年上だったら。
 そんな願望。
「お互い秘密写真だね」
「うん」
「だからいかがわしい写真じゃないと言ってるだろ」
 二代目の荒い声にナルトと先生はお互い顔を見合わせて微笑んだ。
 純白のウェディングドレスに着替えて、メイクをされるとナルトは改めて職人の凄さに感動する。
「すげーってばよ。自分じゃないみたいだってば」
 ふっと先生が気になった。
 あのマスクはとるのだろうか。
 ノックの音がして控え室に先生が入ってくる。
「おやまあ、綺麗だね!」
 褒められてナルトは照れくさそうに笑った。
「先生、マスク取らないの?」
「忍者だからねー。色々いるし」
「そうか」
 閉じた片目の上に縦に傷が入っていてそれを多分傷用のファンデーションで上手くカバーしてる。マスクは結婚用に白で服とあわせている。
「かっこいいってばね」
「ありがと」
 先生の目が白いバンダナで覆われる。撮影の時には取るのだと笑いながら先生は言った。
「傷……」
「ん? 若気の至りというか、馬鹿だった時にね」
「そう」
 色々事情があるのだろう。帰ってしまうナルトには聞いてもしょうがない事だ。
「あ! そういえば! 結婚前に白いウェディングドレス!」
 ジンクスを先生は思い出したらしく少し慌てた。ナルトは自虐的に目を伏せて哂う。
「平気。もう嫁ぎ先は決まってるから」
「え」
「帰ったら返事するつもり」
「カカシ……ではないよね」
 静かに首を振ったところにアシスタントの人が呼びに来た。ナルトは静かに笑っただけで何も言わなかった。

 ベッドに寝転んで何度も写真を見る。
 先生とナルトが一緒に並んで立っている写真で絵面だけ見れば身長差といいとてもお似合いだ。
 試し取り用のポラとは思えない。
 胸元に写真を置いてカカシと自分を想像してはっとした。むなしくなるだけなのは判っているのについ想像してしまう。
 また写真を見る。
 何度ループした事だろう。
 未練たらしい。
 ナルトは身体を起こすとゴミ箱に捨てようとしたが、気を変えてベッドの上に放った。
 バスタオルとタオルを出すと風呂場に向かう。
 何時もなら気持ちがほっと解れる風呂のはずなのに、もやもやとしたいやな気分が心を占めていて気分がよくならない。ちょっと奮発して買った石鹸の香りも嫌な匂いに感じる。
 バスタブに手を組み顎を乗せるとぼんやりと床を見ていた。
 
 先生が何かを取り出してぽいっと居間のテーブルに置いた。カカシの目の前だ。
「どっこに置いたかな」
 ごそごそと引き出しをあけて何かを探しているのをカカシは本からちらりと目を上げた。目の前に置かれたということは見ろと言う事なのだろう。諦めたようにため息をついて本を閉じ、裏返しになった写真を手に取った。
「見ていいんですか?」
 一応お伺いを立てる。
「えー。んー見てもいいけど、あーま、いいや。どうせ興味ないんだっけ」
「?」
 先生の言葉に疑問を抱えてひっくり返すとドキンと心臓が痛くなる。
 新郎新婦の装いの先生とナルト。
「あったあった」
 見つけた写真立の埃をふっと吹いて舞い上がる埃を慌てて手で追い払う。
「ちょうだい」
 差し出された手に写真を乗せると、二つ折りの写真立の片方に入れて満足そうに目だけで笑う。
 何か聞きたそうにカカシは先生を見たが、わざと先生は気がつかない振りを決め込む。
「よし。あとはナルトを何とかだまくらかして……」
 言いながら写真が入ってないほうを見てぶつぶつ口の中で計画を呟いている。
「あの」
「ん?」
 聞きたくても何を聞けばいいのか判らずカカシは「何でもないです」と俯いた。
 先生はマスクをひきおろしながらくすくす笑う。
「さ、今日は遅いからさ」
「はい」
「歯磨いた?」
「磨きました」
「お風呂は入ったみたいだね」
 パジャマ姿でくつろいでいるカカシを見てうんうんと頷く。
「写真気になる?」
「はい」
 ぼんやり答えていたカカシはつい、本音を漏らしてしまいはっとして口を押さえた。
「まったく。どうして意地っ張りなんだろうね」
 きゅっと鼻をつまむ。
「俺も寝る準備」
 テーブルに写真立を置くと先生は鼻歌を歌いながら風呂場に向かった。
 そっと写真立を開くと花嫁姿のナルトがいる。少しメイクしてるせいか大人びて見えた。歳の差を感じて胸が痛くなった。元通りの場所に戻すとカカシは玄関に向かった。
 イライラするがナルトに会いたくてたまらなくて、サンダルを履いて出かけるのを一瞬ためらう。
 踏み出そうとするたびに一歩ひいてしまう。
「どうしたの?」
 頭をがしがし拭きながら風呂場から出てくる先生に問いかけられてカカシははっとした。
「……飲み物が……」
「あれ? 無かった?」
 そういって先生は冷蔵庫をのぞく。
 お茶も、ジュースも珈琲も揃っている。
「あー無いね。ついでにビール買ってきてよ。はい。これお金」
 手にいくらか入った巾着を渡されてカカシは勢い良く頷いた。
「この時間だとちょっと遠い酒屋さんしか開いてないね」
「……行って来ます」
「はいはい。行ってらっしゃい」
 ひらひらと手を振りながらカカシの背中を見送って先生は苦笑した。
「本当に、素直じゃないんだから」
 昔の自分はあんなだったかな? 思い返して見たが遠すぎるし、余計な事まで思い出してしまい悲しい気分になった。
「……馬鹿だよね」
 カカシは冷蔵庫からお茶を取り出すとグラスに注いだ。

 髪の内側をブラシで梳く。ベッドの上には小さなスタンドミラーが置いてある。
 ぼんやりと梳いていたが、慣れた所作というのは本能的に行うようで梳き終わるとナルトはペン立にブラシもコームも立てた。
 外を見ると真っ暗でガラスが鏡のようになっている。
 かちりと部屋の電気を消すと外の明かりを頼りにもそもそとベッドにもぐった。
 考える事は一つしかないのに何でこんなに悩めるのか判らない。
 ため息をついて寝返りをうつが、胸がもやもやして眠れない。何度も何度も寝返りを打ち身体の位置を変えようとするが、駄目だ。
「ちょっと散歩してこようかな」
 買ったばかりのパジャマの上にもらったカーディガンを羽織るとナルトはサンダルを履いて外に出た。
 月が見えない闇。
 空を見れば何時もは月の光で見えにくい星もその姿を現している。
「よお」
 声にびくりとして顔をあげるとビニール袋を持ってカカシがたっている。
 サンダルにパジャマと何時も見れない格好にナルトは驚いた。
「風邪ひくってばよ」
 まだ寒い時期だ。自分のカーディガンをかけてやろうとしてまたおせっかいかなと手を止めた。
「お前の方が風邪ひくだろ。もっと暖かくして出て来いよ」
「……」
 それきり会話が続かなくて二人は俯いていた。
 何か話をしなくちゃとナルトは考えるのだが、この間の言葉が何度も何度も蘇ってきてしまい、会話の話題が見つからない。
「何してるんだ?」
「眠れないから、散歩。カカシは?」
「お使い」
 がさりとビニール袋を揺らす。
「髪」
「え?」
 ナルトが顔をあげるとカカシの目が優しく歪んでいて、微笑んでいるのだな言う事が判った。よくよく見ればパジャマにマスクとおかしな格好だが。マスクなしで外出するカカシを見た事が無い。
「おろしてるの初めて見た」
「そうだっけ?」
 そんなはずは無い。この間来た時に寝起きだったのでおろしていたはずだ。
「うん」
 カカシは近寄るとあいた手でナルトの髪を梳いた。
「さらさらしてる」
 愛撫のようにカカシが髪を手で梳くので、ドキドキしてまた眠れなくなりそうだ。
「……この間は、ごめん……」
「え? あ、いや、ほら、俺ってがさつだからさ! 何ていうの他人の気持ち考えないで行動しちまうから」
 答えてナルトは大笑いした。
「あれは、俺が悪いんだ。ごめん」
 髪を一房とってじっとナルトを見つめる。
 声は出してないのに名前を呼ばれた気がした。
 続きそうな言葉にドキドキしながらナルトはカカシの言葉を待っていた。
 少しだけ下げたナルトの視線、少しだけ見上げるカカシの視線。
「気をつけて」
 それだけ言うとカカシが名残おしそうにナルトの髪をさらりと落とした。
「カカシも」
 目だけで返事をすると屋根に飛び上がる。軽い音を立てながらカカシが消えていった。
 ナルトは泣きそうになったが、ぐっと唇を噛みしめてカカシの消えた方向を見ていた。ゆっくりとその場に張り付いてしまった足を動かし反転する。
 はじかれたように一気に家に向かって走る。
 泣くものかとナルトは唇を噛みしめた。
 
 再び先生とカカシが一緒に部屋を訪れる日がはじまって、相変わらず先生は暴走気味にナルトを抱きしめたりするのだけど、カカシはぽつぽつとその日の任務とか、おかしかった事を話すようになった。
 昔もこんな風に話していたっけ。
 ナルトがふっとサクモがまだ生きていてカカシと仲が良かった頃を思い出す。
「あと一週間か」
 アカデミーの校庭を横切りながら先生がナルトとカカシを見る。
「俺のナルトに会えるのは嬉しいけど、お前たちがいなくなるのは寂しいねえ」
「またまた。ナルトに会えるのが嬉しくてたまらないんだろ?」
 ナルトがそういえば、カカシは出ている目だけで笑う。
「そりゃ、ねえ。約一ヶ月も会えなかったわけだから」
「あっちでサクラ先生かサスケにくわれちゃったりして」
 先生があまりにも取り乱すので悪戯っぽい笑顔を見せる。カカシは何時もの事とばかりに歩いている。
「先生には本当にお世話になったってばよ」
「今から寂しい事言わないでよ」
 影が長く延びる。
「でさ、お前何時嫁にいっちゃうのよ」
 いきなり話題を出されてナルトは目を白黒させた。
「せ、先生!」
「あ、ごめん内緒だった?」
 ナルトはカカシが見れなかった。荒れる海のように心が波打っている。
 いい機会なのかも。
 宣言してしまえば諦めもつく。
「まだ返事してねえし」
 真っ赤になりながらナルトが俯く。
「いい加減相手はいちゃいなさいよ」
「駄目! 恥ずかしいってば!」
「何の……話ですか?」
 カカシがぴたりと立ち止まった。無表情に二人を見ている。
「ナルトのね」
 カカシはナルトを指差す。
「嫁ぎ先。もう決まってるんだって」
 言われた瞬間ナルトはカカシから顔を逸らせた。
「ま、まだ。返事してねってば」
「でもプロポーズ受けるんでしょ?」
「う、うん」
 真っ赤というよりは真っ青になってナルトが答える。
「……あの中忍?」
 カカシの声が鋭い刃物の様に飛んできた。
「へえ」
 どんな顔をしているのか見たかったが見れずにナルトは俯いている。
 すたすたとカカシは二人を追い越す。
「ちょっとー歩くの早いって」
「あ、ごめん」
 先生の声に立ち止まって振り返る気配がする。ナルトは歩きながら顔をあげた。
 カカシがにっこりと笑いた。
「おめでとう」



 ぎりぎりと、心臓が。



「ちっともめでたくないよ。何で本当にあの中忍?! うわ、何でよりによって」
 先生の声に笑顔で答えるのが精一杯だった。
「えーナルトならもっといい男いるって。うー何か物凄くむかつくな。何か誰とくっついてもいいけどさ、あの中忍とだけはくっつのむかつく!」
「イルカ先生だってばよ」
「あ、やっぱそうなんだ! あーもー!」
 声は震えていなかっただろうか。涙は流れていないだろうか。
 ナルトは背筋を伸ばした。
「まあ、俺がどうこう言ったってナルトが決めちゃった事だしね」
 しぶしぶと言った感じでカカシが頷く。
 一楽が見えた。
「ね、先生。お祝いに味噌チャーシュー大盛りとかご馳走してくれるとかないってば?」
「祝えないよ!」
「俺が、祝ってやるよ」
 カカシが申し出る。
「えー。悪いってばよ」
「ちょっと、何よ、それ! 何で俺は良くてカカシは悪いのよ!」
「だって、先生年上じゃんか」
 そういってナルトはげらげら笑った。笑ったくせに心は無表情ですかすかしている。
「いいよ。お祝いだから」
「あーもー二人で食べてきなさいよ! もー俺拗ねちゃう!!」
 怒りながら先生はその場から姿を消した。
 後に残された二人は顔を見合わせると困ったように笑いあう。
「帰るまでに絶対おごらせなくちゃだってばよ」
「そうだな」
 笑っているのに。
 おかしいと思っていない心。
「どうする?」
 顎で一楽をさされる。ナルトは少し考え込んだ。
「今日はお互い支払いって事で食べる! おごりはあっちの世界に帰ってからにするってばよ」
 腕が掴まれた。
 カカシがマスクを降ろしながら背伸びをする。
 唇が唇に触れた。
 時間にすれば数秒だが、二人は見詰め合った。
 ぎゅっとナルトの腕を掴んでいたカカシの手が強くなる。
「……忘れてくれ」
 カカシが俯いて一楽に向かう。
「忘れねえ……」
 ナルトはその後をついていった。
「昔に、戻りたい」
「カカシ」
「らっしゃい!」
 テウチの声に言いたい事が口の中で止まる。
 沢山、沢山あった。
「おじさん、味噌チャーシュー二つ」
 カカシは注文するとナルトに向かって微笑む。
「ごめん。やっぱおごらせて。あっちの世界じゃ俺、平気で笑ってる自信ない」
 ナルトはこくりと頷いた。
 色々な話をした。
 これまで話さなかった分色々。
 ナルトの部屋で一晩中。
 珈琲は何度も淹れた。任務があるのもわかっていた。
 なのに何故か話したくて二人は笑ったり怒ったりしながら色々話した。
「外、明るくなってきたな」
「うん」
 珈琲を淹れるためにナルトが台所に立つ。
「俺、帰るわ」
 その言い方にナルトが笑う。
「先生そっくりだってばよ!」
 カカシは嫌そうに眉を片方上げる。
「しょうがないよ。あの人は俺なんだから」
「お、やっと認めた」
「最初から認めてるよ。何から何まで俺だもの」
「ええ? 全然違うってばよ」
 カカシはニッと子供っぽく笑うと口布を引き上げた。
 その笑顔にナルトがどきりとする。
「じゃあ、帰る」
「うん」
「またな」
「また」
 カカシは窓を開けると飛び出していった。
 何かが抜けたようにぼんやりとナルトは窓を見ていた。
「……だってばよ」
 口の中で呟く「スキ」。一生伝えられない想い。
「……」
 先程よりさらに小さくナルトは呟く。
 誰にも聞かれないように。
 カカシに聞かれないように。

 そっと扉を開けて中に入ると先生が立っていてびっくりした。
「おかえりー。大人の階段のぼっちゃった?」
「起きてたんですか?」
 どくどくと脈打つ心臓を押さえながらカカシが質問するとまさかと先生は大あくびをした。
「んー気配で起きた」
「すいません」
「何で謝るのよ。俺が勝手に起きただけなんだから」
 サンダルを脱ぐととさりとカカシは先生に抱きついた。胸のあたりに頭を押し付けて心音を聞いている。
「おやまあ。どしたのよ」
 抱きしめ返して頭を撫でる。
「先生。苦しいね。人を思うって」
 完全に甘えモードに入ってるカカシに思わず頬が緩み先生はゆっくりと頭を撫でた。
「苦しいけど、想えば嬉しいよ。会えるだけで嬉しい」
「でも苦しいだけです。会えば泣きたくなるし声を聞くのが辛い。だからと言って嫌いとか会いたくないわけじゃないんです。辛くて苦しいのに会いたくてたまらない」
 ぎゅっとカカシを抱く腕に力がこもる。
「……ずっと一緒にいたから相手の事も判ってるし、そういう好きだと認めたくない」
 先生は抱きしめて時々頭を撫でる。
「いっそ憎まれればいいと思ったのに、相手が離れようとすると手放したくない」
「甘えてるんだよ。ナルトに」
「え?」
「カカシはナルトがカカシの事を好きだと思ってるから今まで冷たい態度も取れたでしょ? でも他の人のものになると分かったら今まで見えてた気持ちが見えなくなって焦ってる。カカシはナルトの「カカシを好き」と言う気持ちに気がついて甘えているんだよ」
 カカシは衝撃を受けた顔を隠そうともしないで上げ、先生を見る。
「厳しい事いっちゃうけどさ。現実だから。相手から与えられる愛って言うのは何時までも永遠のものじゃないんだ。ナルトが自分をずっと好きでいてくれるっていうのはカカシのエゴだよ」
「そんな、こと!」
「思ってないっていえる?」
 返事が出来ずにカカシは俯いた。
「もっとも、ナルトはこっちでもそうだけどあっちでも難しい子だからね。お前が告白しても簡単に「うん」とはいえないんだよ。回りが言わせてくれないんだよ。だから俺はお前にチャンスをやったのに。お前がその甘ったれた精神(こころ)でいる限りナルトはお前から離れていくよ」
「甘えてなんかいない!」
 ふっとカカシは寂しい笑顔を見せた。
「ねえ。怒鳴りつけるって言う事は自覚もしてないんだよ。自分に厳しい人間なら誰しも少しばかり心当たりがあるはずなんだよ」
 真っ赤になってカカシは拳を握り締めた。怒りで肩が震えている。
「図星さされて腹が立つんでしょ。大人になれとは言わないけど、自分から行動を起こす勇気を持ちなさいよ。大方、告白もしないで帰ってきたんでしょ? それってさ、心の底でナルトからの告白を待ってるからじゃないの?」
 カカシは先生を突き飛ばした。先生はよろけもしないでカカシから少し離れただけだ。
 カカシは怒っていた。怒っていたから何か怒鳴り返そうと思うのに、荒い息しか出てこない。
「ナルトはね、傷つきすぎてるから。もう傷つきたくないんだよ」
「判ったような事を!」
「判ってるさ。でもね。どんなに愛してあげてもナルトは俺の事考えて絶対受け取ってくれないんだよ。先生が変な目で見られるって。だから見せ付けるようにべたべたしたり愛してると公言してみたり。それでもナルトは俺を受け入れてはくれないんだよ歳の差とか同性だからとか。あの子自身の事とか」
 先生は無表情にカカシを見ていた。
 ふっと先生が表情を緩めて再びカカシを抱きしめた。
「離せ!」
「知ってるから。お前が凄いがんばってるのとか」
 もごもご動いていたカカシだが、手が外せないと判ると大人しく先生に抱かれていた。
 ぽんぽんとあやすように背中を叩く先生。
「でもな。俺はお前だから痛みとかも知ってるわけ。若い頃にした苦い経験もね」
 膝を付いてカカシの目線にあわせると、ゆっくりバンダナを外し傷をあらわにする。目を開くと写輪眼が見えてカカシははっとして先生を見つめた。
「その目。サスケと同じ」
「そ。若い時にね。馬鹿だった証」
 バンダナを戻す。
 カカシを軽く抱き寄せると肩口にしがみついてきた。パジャマを通して濡れた感触が伝わる。
「人を好きになる事は怖いね。相手が自分と同じ好きじゃなかった時とか。でもさ、何もしないで後悔するよりはしてからしたほうがいいじゃない?」
 先生が優しく言いながらくしゃくしゃとカカシの後頭部を撫でた。撫でながら自分にとても甘いなあと苦笑する。
 ほうって置けばいいのだ。
 傷ついて成長していけばいいのだ。
 だが、あの時ああすればという気持ちも蘇ってきて、ついカカシに忠告してしまう。
 目を閉じてカカシの涙を感じていた。
 ひょっとしたらカカシも写輪眼を手に入れるのかもしれない。どんな形かわからないけど。だから先生は詳しく話さなかった。
「カカシー。ナルトには左目の事内緒ね。男同士の約束」
 興味深々と先生の隠されている左目を見ていたナルトを思い出してカカシは何だか暖かい気持ちになって噴出した。
 
 月はほぼ丸い。
 ナルトはアカデミーの校庭で月を見上げていた。後二日でここともお別れかと思うと感慨深い。
「ナルト」
 名を呼ばれて顔を戻すと門のところにカカシが立っていた。
「お待たせだってばよ」
 キスの一件いらい、カカシとナルトは一緒に帰っている。時間が決まっているナルトにあわせてカカシが迎えに来る。
「後二日だな」
「だってばよ。何か寂しいってば」
 言いながらナルトはカカシに向けて笑顔を見せた。
 そっとカカシが手を繋いでくる。照れながら顔をそらしナルトも手を握り返した。ちらりと横目で見るとカカシも耳まで真っ赤にしながらそっぽを向いている。
「……夕日、赤いな」
「……うん」
 赤いのは夕日のせいだと。お互いが言い訳をしている。
「帰るまでに先生の左目見てやる!」
 思い出したようにナルトが叫ぶ。叫ぶと力が入って手が強く握られる。
「……」
 カカシは黙ってナルトの手を握り返した。後ろを振り返れば長い影も仲良く手を繋いでいる。
「一楽寄ってく?」
 指さしてぐいとナルトがカカシの手を引く。
「今日はさっぱりしたものが食べたい」
「えー。カカシってば我侭だってばよ」
「どっちがだよ」
「あ、一番星」
 ナルトが真っ直ぐに星を見上げる。
「今日は野菜炒めね」
 後ろから声がして二人は慌てて手を離した。先生がニコニコと手を振っている。
「二人とも顔赤いよ?」
「「ゆ、夕日のせいだ」ってば!」
 二人のハモリに先生は大笑いした。二人も顔を見合わせて笑う。
 そんな、時間。
 
 髪をブラッシングしながらナルトは窓から見える月を見上げる。
 カカシとこんな関係でいられるのも今日だけだ。
 しゃべりつかれてナルトのベッドで眠ってしまったカカシを起こしたものかどうか迷って、ナルトはそっとカカシの寝顔を覗き込んだ。
 マスクを外し横になっているカカシの寝顔を見つめた。顎の線が柔らかく幼い。無防備ともいえるくらい安心しきって眠っている。
 笑みがこぼれてしまう。時々こんな幼い顔を見せられると年上としての庇護欲がかきたてられてしまうのだが、何時からカカシを男として意識したのか。
「こんばんは」
「先生」
 指を立てて先生が窓から入ってくる。ぐっすり寝込んだカカシを見て目を柔らかくゆがめた。
「おやまあ、可愛い寝顔さらしちゃって。自分で言うなって?」
 時々忘れてしまいそうになるが先生はこの世界のカカシなのだ。
「先生はやっと明日はたけカカシに戻れるんだってば?」
「そうね」
 ベッドの足元に腰を降ろして二人を見る。
「何だかね。向こう側のナルトなのに全然違う人に思えるよ。カカシも」
「うん。俺もそう思ったってば」
「見た目も性格もナルトなのにね」
「先生はカカシと全然性格が違うんだけど、時々、一緒なんだって思うときがあるってばよ」
 二人は黙って熟睡しているカカシを見下ろした。
「このまま眠らせてあげてよ」
「うん」
「ねえ、あの話やっぱ止めにする気ないの?」
 イルカと婚約話をさしているのは判った。俯くとナルトは口の端だけをあげて笑う。目は悲しそうにカカシを見つめている。
「ねえ、先生。いくら好きでもさ。やっぱ許されないんだってば。折角ひょっとしたらカカシと両思いかも? って思ってもさカカシは俺の事しらねえんだもん」
 布団をかけてやるとナルトは月を見上げた。
「裏切れねえの。じいちゃんもイルカ先生も。カカシに期待を寄せる人たちの心も」
「そっか」
 ナルトは頷いた。
「ねえ、今日そいつ泊めてやってよ」
「うん」
 先生はちらりと二人に視線を走らせると夜の中に飛んだ。
 ナルトも、もそもそとカカシの隣に潜り込む。そっと首の下に腕を通してカカシの頭を抱きしめた。
 温かさに目を閉じてさらに感じようとする。
「もっと、こっちにいたかったな」
 ナルトは腕を外すとカカシに背中を向け眠るために目を閉じた。
 背中にカカシを感じる。
 
 その日は朝から快晴で、別れにふさわしいようなふさわしくないような天気だった。もっとも曇っていても雨でも同じ事が言えたに違いないが。
 起き上がってナルトはカカシの寝顔を見つめた。
 きっとこんなにじっくり見れるのも今日だけだろう。
 唇を押すと柔らかく指を迎えた。
「ん……」
 目覚めたのか身体を真っ直ぐにしようとして目をこすった。
 濃紺の瞳が現れる。
「おはようってばよ」
 ナルトはうつぶせになり、頬杖をついて笑う。
「え?!」
 ナルトの声に文字通りカカシは跳ね起きた。隣で寝ているナルトを確認すると状況を理解しようとしてあたりを見回し、最後に衣服を確かめる。
「えっちだってばよ」
 片手を伸ばしてぺしんと額を打てば、痛いなあとばかりに額を押さえ睨み返してくる。
 起き上がったナルトは冷蔵庫の中を確認する。主食のパンと卵はある。二人分くらいはどうにかなりそうだ。
「あのさ、おはよう」
「ん。お早う。飯食う?」
 一応確認するとカカシは頷いた。
 髪をくるくるとまとめて簪の様に割り箸で止める。ちゃんと洗ったものである。
「えっとお早う」
「? お早う」
 もう一度挨拶するカカシを不思議そうに見ると真っ赤になって俯いている。
「目玉焼きがいいってば? スクランブルエッグがいいってば?」
「……ナルトと一緒に寝たの?」
「ベッド一つしかねえもん」
「そうか」
 起き上がってサンダルを履くとトントンと靴を慣らし、マスクを引き上げる。
「……やっぱり帰る」
「帰るの?」
 がらりと窓を開けてカカシが朝日の中に飛び出した。
「飯くらい食っていけばいいのに」
 開けっ放しの窓を閉めながらカカシの飛んだ方向を眺めナルトは笑う。

 走りすぎてうっかり先生の家を通り過ぎるところで、慌てて飛び降りた。玄関のドアノブを回して少し止まってしまう。
 ナルトと一緒に。
 かあっと顔に血が昇った。エッチな事をしたわけではないが、同じベッドに一緒に寝ていたという事実だけで顔が赤くなる。何故もっと早く起きなかったのかと悔やまれて仕方がない。
「何、百面相してんのよ。早く入りなさいよ」
 先生が開いたドアで少しだけカカシは額を打った。ナルトの手がそこに触れたと思い出すとますます赤くなる。
「何よ。大人の階段のぼっちゃった訳?」
 ニヤニヤと笑いながら先生はカカシの肩に手を添えて家の中に入れた。
「大人の階段?」
「しちゃったわけ? ナルトと?」
「したって?」
 テーブルにつかせて先生は朝食の準備をはじめる。椅子にに腰掛けると床まで届かなくて足をぶらぶらさせる。
「エッチな事」
「エ」
 繰り返そうとしてカカシは絶句した。
「してない!」
「まー意気地なしだこと」
 フライパンを火にかけながらカカシは冷蔵庫から牛乳を取り出した。カカシの目の前にグラスを二つと牛乳を置く。
 受け取るとカカシは二つに牛乳を注いだ。
「か、帰ったら告白する……」
 最後の方は口の中に消えている。先生は卵を二つ割りいれると菜ばしで手早くかき混ぜた。
「帰ってからじゃ、遅いかもよ」
 先生は昨夜のナルトを思い出す。ナルトの意思とは関係なくイルカとの婚約が決まってしまうだろう。ナルトもその腹づもりのようだ。
「?」
「パン焼いてくれる?」
 カカシには言えない。言うならナルトか向こうの世界の三代目だろう。
 食パンをトースターに入れながらカカシはちらりと先生を見た。スクランブルエッグを作り終えてスープの粉末を振っている。
 カカシだって考えて考えて戻ったら告白すると言うのだろう。
「ナルトのところで食べてくればよかった」
 同じメニューにカカシががっくりしたようにマスクをさげた。
「本当にね」
 その様子を見て笑いを噛み殺しながら先生が答える。
「まあ、最後の朝食くらい俺と一緒でいいじゃないの。そういえば今日昼にお別れ会するってサクラとイノが騒いでいたよ」
「いいのに」
「いいじゃない。こんな事ほぼ無いんだから」
 カカシが柔らかく笑うのを見て、ここに来た最初の頃のカカシを先生は思い出す。性格が丸くなったなと嬉しくなった。

 慌しく時が過ぎていく。ナルトは空を見上げながら日がどんどん暮れていくのを見ていた。
「あ、お月様昇ってきたわよ」
 宴会のようにシートが広げられ、お別れ会というよりはそれにかこつけて上忍中忍の飲み会になっている。下忍も下忍でジュースで盛り上がっている。サクラのその声に声があちこちから上がる。既に出来上がった会場は騒がしかった。
「先生。じいちゃん。イルカ先生。それに皆、お世話になったってばよ」
「またこれたらこいよー」
 無責任にどこからか野次が飛ぶ。
「お世話になりました」
 カカシはそれだけ言うとナルトの手を握った。その途端に冷やかしの口笛が鳴る。
 以前ならきっとカカシは手を離してしまっただろうが、照れくさそうにそっぽを向いてナルトの手を強く握った。気がついたナルトが寂しそうに笑う。
「そろそろじゃの」
「お世話になりましたってばよ」
 ナルトは片手に持った手鏡に月を写した。
 まばゆい光が鏡からあふれてナルト達を包んだ。
 光が収まると泣き出しそうなイルカの顔が見えて、抱きしめられた。
「お帰り。ナルト」
「イルカ先生」
 こちらはあちらとは違い三代目、イルカ、サクラ、サスケがいるだけだ。
 三代目火影がよってくる。
 イルカが離れ二人は姿勢を正した。
「ご迷惑おかけしました」
 カカシが深々と三代目に頭を下げるのでナルトもそれにならって頭をさげる。
「しょうがない。鏡のせいだしの。無事で何より」
 鏡は光が消えると共にキラキラと溶けてしまった。溶けたわけでは無いのだがそう見えたのだ。
「それよりナルト」
 消えてしまった鏡を見ていたナルトは声をかけられ、三代目の方に顔を向けた。
「イルカから聞いたぞ。イルカはいい男だ、お前を幸せにしてくれるだろう。ワシはお前達を祝福する」
 逃げられない。
 ナルトは悲しそうに笑って俯いた。
「ありがとうございますってばよ」
 何かいいたそうなサクラが目に入った。イルカの手が肩に回る。
「何で、ナルトに決めさせないんだよ!」
 驚いたように皆がカカシを見ると、握りこぶしを固めてカカシが息荒く立っていた。
「何で、ナルトの意見を聞かないんだよ!」
 カカシにしては珍しい口調だった。目上の者にはそれ相応の口を利くのに、こんな感情に任せた口調は火影がいる前では聞いた事がない。
 カカシの声を聞いて一瞬嬉しさがこみ上げたが、ぎゅっと唇を噛んでカカシを見つめる。
「イルカほどナルトにふさわしい男はいないからだが?」
 三代目が答える言葉にカカシは睨み返した。
「優しい? そんなの他の男だって持ってますよ。理解してる? 俺のほうが付き合い長いです。何でですか。ナルトを思うって言うわりにナルトの意見なんか全然聞いてないじゃないですか」
 ぎりぎりと言葉を噛み殺すように答える。
「歳だって一回りも離れているじゃないか!」
 三代目はカカシに近づくとその肩を叩いた。
「イルカは何もかも知って、それでもナルトを選んだのだ」
 ぎりぎりと唇が噛みしめられているのがわかる。
「……にも、何も知らなくさせているのは、あんた達が隠すからじゃないか!!」
 夜の森にカカシの声が響いた。
「大人が、ナルトを子供から遠ざける! 何が知らないだ! 教えてもらってない事なんか知るわけないだろ! あんたたちのせいで、ナルトが!」
 カカシは胸にたまってるものを吐き出そうとして、吐き出そうとして喉につかえた。避けられてるのが判るとナルトは自分から人によらなくなった事。人がいるとサスケとカカシから離れている場所にいる事。サクラのおかげで最近は大丈夫になったこと。
 何からぶつけていいかわからない。
 サクラがすっとカカシの前に立ちはだかった。
「火影様。カカシの言うとおりだと私も思います。確かにイルカ先生は素晴らしい人でナルトにはふさわしいと私も思います。でも、それで本当にいいんでしょうか。ナルトはこれまで自由に物事を選んだ事があったでしょうか?」
 三代目はナルトを振り返った。
「待ってください。ナルトに訪ねる気ですか? そんなのイルカ先生を選ぶに決まってるじゃないですか。迷惑かけないように」
 サクラはさらにたたみ掛けるように三代目に向かって言う。サクラの言葉に三代目は苦笑した。
「よかろう。カカシよ。ならば今日限りで七班の任を解く」
 その命に七班全員、イルカまでも絶句した。
「火影様!」
 サクラが驚いたまま叫ぶ。
「何故、それほどまでに!」
 驚きから怒りへとサクラの顔が変わっている。
 カカシは呆然としたままナルトを見た。
 ナルトも真っ青になってカカシを見ている。
 サスケも何かいいたそうに拳を握って何度か唇を動かしたが何を言っていいのか、いや、何から叫んでいいのかわからないのだろう。横暴だとか、ナルトの秘密とか。
「勘違いするでない」
「じゃあなんです!」
 カカシよりヒートアップしているサクラが三代目に詰め寄る。
「カカシよ。お前はナルトを守るために強くならねばならぬ。命がけの事もあるだろう」
 サクラの後ろに立っているカカシを見つめて火影は表情を柔らかくした。
「はたけカカシ。明日より暗殺戦術特殊部隊の任を命ずる」
「暗部!」
 イルカとサクラが同時に叫ぶ。何か言おうとしたが、何もいえなかった。
「二年やろう。その間に強くなれ」
「はい」
 静かにカカシは返事をした。
「ならば来い。色々手続きや準備が必要だ」
「はい」
 カカシは背中を見せた三代目の後ろに従った。
「少し、待っていてもらえますか?」
「ん?」
 返事も聞かずに駆け寄るとカカシはナルトの顔を掴み背伸びをしてマスクごしにキスをした。
「待ってて。俺、一番強くなるから」
 イルカがナルトの横顔を伺うように見ると、丁度風がナルトの髪を持ち上げ表情を隠してしまう。そのまま二、三歩前に出てしまったのでイルカからは顔が見えなくなってしまった。
 泣いてるのだろうと思った。
 慰めるために手を差し出すことも出来た。
 イルカはそれが出来なかった。
 たち尽くすナルトの後ろ姿から俯いて顔を逸らすと、ゆっくりと家の方向に歩き出した。
「おい」
 横を見るとサスケが並んで歩いている。
「愚痴なら聞いてやる」
 彼女にしては珍しく手を繋いでくる。イルカは泣き出しそうな顔で笑顔を見せた。

 二年だった約束はカカシの事故でもう一年のび、サスケが里を出たりと慌しい日々だった。
 サスケの事を思うと強くならなくてはと自来也と修行の旅に出て二年半。ナルトは十九歳になっていた。
「おっきくなったわね!」
「サクラ先生かわんねーってばよ!」
 カカシがいなくなりサスケがいなくなり、七班は解散となってしまったが、新たに任命されたサクラ班のにナルトは配属された。
「他にメンバーって?」
「そうねえ」
 そこまで言ってサクラはニヤリと意地の悪い笑みを見せる。
「うっふふー。気になる? 気になる?」
「先生、意地悪いな。歳とったせい?」
 がつんと頭に鉄拳が落ちた。
「いってー!!」
「あたしは優しいわよ!」
 ぷりぷり怒りながら演習所の方に足を向けてる。サクラの腰につけてある鈴がちりちり先ほどから鳴っている。鈴取りかな? ナルトは殴られた頭を撫でながら思った。
 伸ばしていた髪は出かける前に切ってしまった。もったいないと誰もが言ったがナルトなりの決意表明だった。
 あの頃見上げていたサクラの目も今では少しだけ見下ろしてる。

 カカシを思い出すが小さなカカシしか思い出せない。
 先生を思い出してそこまで老けてないかと笑う。
 五年ぶりか。
 風の便りに聞いたのは、暗部を辞めた後、上忍になったらしいと言う事だった。
「上忍ね」
 先生の顔が思い浮かんでくすくす笑う。そういえばあちらはどんな状態になっているのか。気になる。音沙汰が無いのは当たり前だが元気でやっているだろうか。先生のおかげでカカシとの距離が縮まったのだ。時々懐かしく思い出すのだが、あれいらいあの不思議な鏡はナルトの前に現れていない。
「なあに?」
「何でもねえ」
 カカシが一度死線をさまよう怪我をしたと聞いた時は、側に行きたいと切に願ったものだ。
 よく五年半も我慢していたと感心してしまう。
「あら、早いわね」
 演習所に着く前にサクラが呟いた。顔を上げると。
 銀の髪が見えた。
 それだけで誰かわかって涙がこみ上げてくる。
 ノースリーブの肩口から出た腕はがっしりとしている。
「我慢しなくていいのよ」
 サクラが肩を押すと同時にナルトは走り出す。
 ゆっくりと銀の髪が振り返る。
「カカシ!」
 大きく広げられた腕にナルトは飛び込んだ。
 楽々とカカシはナルトを受け止める。
「久しぶり」
 低い声にナルトはカカシを見上げた。左目に深い傷が走っていて瞳の色が違う。
「目」
「ん。ああ。任務でさ、しくじっちゃって。その時組んでた暗部の人がくれたんだ」
「サスケと同じ」
「オビトさんといって丁度国外に出ていたうちはの……ああ。もうそういう話は後でいい?」
 ナルトを立たせる。丁度唇の辺りにナルトの額がある。
「会いたかった」
「うん」
 それ以上話が続かない。言いたい事伝えたい事は確かに沢山あった。でも、それは今伝えたい事ではない。
「俺、やっぱりナルトが好きだ」
 三代目の後についていった夜、カカシはナルトの秘密を知った。知って納得してそれでもナルトが好きだと思った。もっとも九尾の脅威を目の当たりにしてないから怖さがわからないだろと言われてしまえば何も言い返せないが。
「えっと、一回しかいわないからな。愛してるから、俺を選べ」
 ナルトの目に涙が滲んでいた。
「うわ、何その高飛車な言い方」
「照れくさいんだよ!」
 腕を組んでカカシはそっぽを向く。その仕草が先生に似てる。
「えーっと、髪、短くても可愛いぞ」
 素直なんだかひねくれているのだか。ナルトはおかしくて泣きながら大笑いした。
「カカシ、キスさせろってばよ!」
 カカシはマスクを指で引きおろした。
 両手で顔をはさんでこちらを向けさせる。甘い丸さが抜けてすっきりとした輪郭になっている。
 ぐいとカカシの顔を引き寄せ背伸びをすると唇を合わせる。
 昔と逆の立場だなとナルトは笑う。
「キスもいいけど、返事は」
「え、えっと。あ! そういえばサクラ先生!」
 すっかりサクラの存在を忘れていて振り返ると、居ない。気を利かせて消えたようだ。
「返事」
「キスでわかんねーの? 鈍いってばよ!」
「あんなキスで判るわけないでしょ」
 カカシがナルトの頬を持ち上げる。
「友達とかそーいう関係超えちゃうキスだけど。やめるならいまだよ?」
 言いながらゆっくりとカカシの唇が迫ってくる。
「超えてもいいってば」
 ゆっくりと背中を丸めてカカシはナルトにキスをした。

 おわり
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