珈琲を飲まなかったのは、ナルトの勝手だ。
 目の前で女が泣いている。先程から同じことを繰り返し、呟いてる。ナルトは冷めた目で女を見ていた。結構恋愛に熱くなる男だと思っていたのに、現在女と別れると言う状況におかれた立場で、この冷め方は何だろうと、自分自身を考えてみた。
 他に好きな人が出来たの。
 女は言った。
 ああそう。
 表情の無い声でナルトが呟く。
 女は俯くと何度も御免ねを繰り返し顔にハンカチを当てている。
 珈琲はすでに冷めていて、飲む気もしない。ナルトは一瞬外を見た。
 秋晴れの日。
「わかった。もう泣くなよ。じゃあ」
 伝票を掴んで立ち上がるとレジに向かった。何だかぼかっとした気分だった。気持ちが抜け落ちてしまうかんじ。きっとその部分に嫉妬とか、悲しみとかが含まれていたのに違いない。大通りの人混みを歩きながら、ナルトは改めて自分の失恋を考えた。
 思った程ショックじゃないのは、きっと本気で好きじゃなかったのかなあと上を見た。雑貨屋の看板が見える。
 大通りは、騒がしい。

 カカシは騒がしい。
 何時も何か話題を持っていて、しゃべりまくる。甘えているのかもしれない。子供と言うものは沢山話すことで自分に関心を持ってもらいたがる生き物だから。もっともカカシは大人だが、ひょっとしたらナルトより精神年齢が子供じゃないの? と思うときがある。
「何? 元気ないじゃない」
 読みかけの本から目を上げると何時もの距離にカカシの顔があった。ナルトはぼんやりカカシを見ていた。
「何よ。本当に元気ないじゃない?」
 どう返事していいのかナルトは迷った。失恋したと言うと馬鹿にされそうだし、かと言って何か誤魔化していると、カカシは大騒ぎして大事になってしまいそうだし。どうしたものだろうと悩んでいると、軽く唇が触れて来た。
「元気になるお呪い」
「ありがとう」
 照れた様にナルトが笑う。
「ナルト可愛い!」
 ぎゅうと抱きしめられて、人間って暖かいと思う。カカシのナルトの可愛がり方は犬猫の可愛がり方と一緒だなあとナルトは感じた。人間であるので、犬猫と一緒ではないが、キスとか頬擦りとかされると、そう言う考えが浮かんでくる。
「あーあー。またやってるよ」
 アスマがちょっかいをかけてくるのをカカシは邪魔くさそうに追い払う。
「何だよ。まぜろよ」
「やだよ。むさいのはあっちいってよ!」
「むさいってお前。失礼だな」
「だって、むさいんだもん。ねえ!」
 同意を求められるが、ナルトは困って笑っている。
「ナルト?」
 痛いなあと、痛みを思い出して、ナルトは泣いた。優しさに触れると痛みを思い出してくる。痛くて。痛くて。
 痛くて。
「どうしちゃったの?」
 カカシが焦ってナルトの頭を撫でる。
「カカシ先生」
 痛いのだ。心が。とても。
 カカシは力を込めてナルトを抱いた。
 何時も珈琲だった。
 あの時も、あの時も。
 悲しい事があるときは必ず珈琲がナルトの前に置かれていた。
 珈琲を飲まなかったのはナルトの勝手じゃない。これ以上悲しくなりそうで、飲めなかったのだ。

 上忍、中忍が集まって月見だと言って酒宴を催していた。もっとも理由なんかどうでもよいのかもしれない。ただ、集まって酒が飲めればいいのだろう。
 酒宴はとんとんと進んで行く。ナルトはずっとぼんやりとしていた。雑談で皆が笑うと笑ったふり。皆が大笑いした話を真剣に聞いてた事もある。
 泣いたことでどうにか気持ちが落ち着いた気がしたが、今度は生々しく現実が反芻される。その度に手で顔を覆いたくなるが、そう言う訳にも行かず、ナルトはぼんやりと人の話を聞いていた。
「ナルト」
 肘でサクラに突かれて、はっとして顔を上げると、全員がこちらを見ている。どういう事か解からず、慌てていると、カカシの笑い声が聞こえた。
「寝てるなよ」
 回りががざわめいて、次の瞬間笑い声が起こる。
「寝てないってば」
「お前、すきあらば寝るだろ。お子様だからね。まだ」
 カカシが笑う。
 まあまあ。と、イルカが、割ってくる。
「任務疲れたんだよな。ナルト」
「はあ」
 イルカが振り返ってそういう事にしておけと目で語っている。ナルトは誤魔化すように鼻を摘んだ。その仕種が照れてるように見えたのか、女性の間から『可愛い』の声が上がる。
 そんなナルトにカメラが向く。悪ふざけして、サクラが顔を寄せると、カカシもカメラに入ろうと寄せて来てナルトは押される様に体を倒した。
「ちょっとー! サクラ、カカシ先生邪魔! ナルト撮らしてよ!」
「なによそれー!」
 サクラが笑いながら拳を上げるのを見て、笑いが起こった。
 ナルトはカカシが助けてくれたんだと言うことに気がついた。カカシの事をちらりと見ると、誰かと話しながら笑っている。
 大人だなあ。
 こういう時、カカシに叶わないと思ってしまう。何時もナルトの一歩前を行って、必ずナルトを助けてくれる。
 酒宴が終わると、カカシの隣に並んだ。
「カカシ先生ありがとう」
「何が?」
 カカシは解かっているらしく、ただ笑っていた。こんなに静かに微笑むカカシを見るのは久しぶりだった。カカシの笑顔は何時も何か騒がしい、明るい感じがしていた。以前も見た記憶がある。その時も、ナルトが失恋した時で、ふっと、カカシの事を見たとき、一瞬。
 静かな笑顔が。
「解からないならいいんだってば。ありがとう」
「だから、なによ!」
 何時ものカカシの笑顔。
「ねえねえ。一楽いかない? 俺、腹減っちゃって」
 カカシが腹をさする。酒ばかり飲んで食べ物を食べてなかったのをナルトは思い出した。カカシもそうなのだろう。
「俺もだってばよー」
 カカシの手がナルトの指に絡んだ。ナルトは顔をカカシに向けた。
 また。
 そう言おうとして言葉が。
 止まる。
 静かにカカシの顔が近寄ってくる。
 唇の熱を感じる。
 触れるだけの、口付。
 見つめあった瞬間、崩れた。
 ぎゅっと指に力がこもる。ナルトの指かカカシの指か、解からない。
 崩れたのは。
「…一楽。行こう」
 カカシが呟く。ナルトは黙って頷いて前を向いた。
 崩れたのは。
「何にするってば?」
 ナルトの指が、絡む。カカシの手に。指に。
 カカシが握り返して来た時、ナルトはカカシを見た。
 崩れたのは。
 もう一度触れてくる唇から、珈琲の味がしてナルトは回りの音が聞こえだした。
「ナルト?」
 ナルトは笑うと小さく首を振った。
「何でも、ないってば」
 気がつきたくない。
 今はまだ心が痛い。
「やっぱ味噌チャーシューだてばよ」
 手が、痛い。カカシが恐い顔でナルトを見ている。
「…痛い…カカシ先生」
 ぐっとカカシが手を引いた。
「誤魔化すなよ」
 二人は立ち尽くした。ナルトはどうする事も出来ず。ただ、カカシを見ることしか出来なくて、カカシは、ナルトをにらみつけている事しか出来なくて。
「俺は」
 カカシの声にナルトは目を閉じた。拒否しようとして。だが、カカシの言葉は続く。
「俺は、お前が好きなんだ」
 泣き出したくなった。
 壊れたのは友情とか師弟関係とかそんなもの。告白は今までの関係に戻ることを拒否する。
 目を閉じて、カカシの手を感じる。握られた手は痛かったが、それを外す事は出来ない。外してしまったら。
 ナルトは瞳を開けた。真っ直ぐなカカシの目が見える。何も答えない。何も言わない。ただじっとカカシを見ている。
 音が消える。
 カカシしか見えない。
 自分の心さえも、見えない。
「カカシ先生」
 続く言葉が消える。
 カカシの唇は珈琲の味がして。
「治して上げる。ナルトの心。傷付いてるんでしょ? 治して上げる。俺が、治して上げる」
 薬。
 ああ。そうか。珈琲は薬だったのか。
 抱きしめられてナルトはぼんやりそんな事考えて、いた。
 あの時、あの珈琲を飲んでいれば、傷はもっと早く癒えていたのかも。痛みは超えなくてはいけなかったのに、ナルトは変に引き摺ってしまって。
 カカシにキスする。
 珈琲の味が。
 した。

終わり

この小説は五年前の別ジャンルの小説をリメイクしたものです。

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