ばさり。
カカシは胸元に雑誌を落とす。蛍光灯の明かりに思わず眼をしかめた。横でナルトがで同じ同じ歌を何回もくりかえすのでいい加減「飽きた」を通り越して「ぶちぎれ寸前の苛々」まで気分がいってしまったのだ。ナルトとしては歌うのが楽しくて何とかこの曲をマスターしたいから歌っているのだろうが、一時間半同じ曲を聴かされる身にもなってほしい。ナルトの家なのでナルトの勝手なのだが、遊びに来たカカシにとっては苛々するだけだ。
「やめてくれない?」
思わず言ってしまった一言にカカシは慌てて口を押さえる。心の内だけですませたかったのだが、口に出てしまうほど我慢がないらしい。
「ん?」
ぼけた声でナルトが聞いてくる。それはそうだろう。気分良く歌っていたのにいきなり止められたというのは。おしっこを途中で止められたくらいに匹敵するくらい気分が良いものではない。
言ってしまったので開きなおり、ナルトに顔だけ向けた。
「あきた。だって、さっきからその曲ばっかりでしょ。ナルトの歌は好きだけど、俺その曲飽きたよ」
少しナルトは考え込んだ。考え込むまでもないだろうとカカシは言いたかったが、それはぐっと堪える。さすがにそこまで言うと大人気ない。一瞬外した視線がベランダに置いた枯れかけた向日葵を見つける。夏の中旬ぐらいに置いたものだ。もう種を取って廃棄してもいい時期だと思う。
「何聞きたいんだってば?」
できるなら歌をやめてカカシと遊んでほしいのだが、子供っぽいお願いをもっている自分にむっとしてしまう。ただでさえカカシはナルトに甘えてると見られているのに自分と遊んでくれとはかなり言い辛い。
「静かな曲」
大人の余裕を見せるつもりのリクエスト。本当はロックのほうがマシだと思ったのだが、そんなの大人らしくないと思い、じゃあ大人とは? と自分に問い直した結果ジャズとなったのだが、ナルトの持ち歌にあるかどうか疑問だったので知っていそうな「静かな曲」をリクエストしたのだ。しかし、そういうタイプの曲は覚えてないらしくうんうんうなっている。
「うーん」
うなりながら思い出そうとしている。それとも単に歌いたくないのか。
苦悩しているナルトの横顔をじっと見ている。
ナルトが好きだな。
そう思う。それは顔を上げた一瞬だったり、ラーメンを食べる寸前だったり、今現在だったりと色々なのだが、カカシはナルトが好きなのだ。何処がどう好き? と聞かれると困るけど、キスしたいくらいには好きで、SEXするのには恥ずかしい位の好きだ。
「ナルト」
「ん?」
「俺のこと好き?」
「好きだってば」
この曲ははどうかな? と口ずさんで首を傾げる。その仕種が可愛くてカカシは笑った。
「なに?」
突然笑ったカカシに自分が馬鹿な事をしたのかとナルトが不安そうな顔で聞いてくる。それも可愛いのでカカシは微笑みを返した。
「ん? 俺さ、ナルト好きなんだなって。もうねー。キスしたいくらい好き」
上半身を起こすと身体を伸ばす。受けるようにナルトもカカシの方に身体をひねると唇が届く距離だった。寸前で相手の唇の熱を感じてお互い笑った。触れた瞬間、唇をあわせた隙間から濡れた感触がする。少しだけカカシが唇を開くとナルトも開く。舌先が触れてお互いどきりとして少しだけ唇を離した。いきなり離すのは負けたような気がするから。お互いの呼吸が唇にかかる。照れくさい沈黙が空気を染める。
「お腹空かない?」
カカシの唇が動くのでナルトの眼がくすぐったそうに笑う。
「空いた」
くすくすとナルトが笑いながら、カカシの唇の上で食べものの名前を唱える。ゆっくりと、カカシが唇を離す。
自分から離したのは負けた様な感じがしたが、大人のほうが先に折れるものさと言い訳のような理由と、恥ずかしさがカカシの唇を先に外させる。照れくささが限界に来てしまったのだ。
「感じた?」
いたずらっぽくナルトが笑う。ずいぶん余裕がある笑いでむっとする。
「馬鹿」
照れたようにそっぽを向くカカシの顔をのぞき込む。ナルトの余裕な行動にふざけるなと、片手を上げた瞬間床に倒れた。そのまま寝転ぶとナルトの顔が見える。
「感じたんだ」
「うるさいよ」
一瞬視界からナルトが消える。足音が台所に向かうのが聞こえた。
「ろくなもん無い」
冷蔵庫の開閉の音が聞こえる。やはり言葉のはしからカカシに対しての余裕と言うものが感じられるけど、空腹には勝てない。でかい音で鳴るカカシの腹の虫にナルトが大笑いする。
もう秋だというのに外は太陽がぎらぎらと照りつけている。薄暗い室内で目を閉じると開いた窓から流れてくる音が良く聞こえた。人々の喧騒、乗り物の音、夏の名残の日暮の声。
「なんでもいい。期待はしてないよ」
「ひどいってばよ」
食べものの話に戻って少しだけほっとしてカカシは以前作ってもらったナルトの料理を思い出し、ひどい味だったなあとしみじみ思う。
感じた。
寝返りをうった時に股間に触れてみた。少しだけ膨れてるそれを落ち着かせる様に外を見る。ベランダの枯れた向日葵の向こうに空が見える。股間に触れていた手をナルトの座っていたところに伸ばす。体温の残りは感じられない。眼を閉じても同じで開けてみるとナルトの顔が見えた。
「出来たってばよ」
「うん」
覗きこまれて起き上がる。その前にトレーに乗ったチャーハンが出される。ナルトも座って向かい合って飯を食う。
「うっすいよ。これ」
「健康、健康」
そういいつつも台所から塩胡椒をもってくると、カカシに差し出しす。
「足りなかったら、どーぞ」
そういって、にやりと笑う大人ぶった態度に腹がたって、ひったくる。大量にかけすぎて回りに飛ちってしまいくしゃみを連発した。ナルトも吸い込んでしまいくしゃみを連発する。
「美味い?」
くしゃみが収まるとナルトが聞く。
「旨くはないけど、好きな味だよ」
「素直に美味しいっていってばよ!」
「正直に感想いってるだけじゃない。それとも嘘ついて旨いっていってほしい?」
言葉が見つからなくて黙り込んでしまうナルトを見て、カカシはうれしかった。
「拗ねるないでよ。俺が好きな味だって、いってるでしょ?」
「あ、金犀セイの匂いするってば」
話をごまかすようにナルトは外をむいた。しょうがないなと笑みを漏らしてカカシも外を見る。へんな所で負けず嫌いの顔を見せる。それが子供っぽくてカカシはうれしい。
「今年は、遅いね」
匂いが部屋に忍び込んでくる。何時もならまだ暑さが完全に抜け切ってないうちに香るのに。
「…‥カカシ先生」
「ん?」
ナルトは恥ずかしそうにスプーンを握り締めて俯いていた。
「その、ありがとう」
いっきにチャーハンをかきこむ。なんとなく違う意味にもとれたが、チャーハンの失敗の事にしときましょうと、カカシは微笑んだ。ナルトにはありがとうを言う理由が多すぎる。
「俺には美味しいんだけどね」
そういうとナルトは返事をしないで静かに微笑んでいた。
恥ずかしい関係。ずいぶん青くさいことしてる。でもこれが精一杯の二人。「好き」や「愛してる」なんて、ストレートな都会的台詞は出てこない。たまに出てもふざけてるときか、照れくさそうに本心をつげる時だけで、他は、ない。
でも、恋人じゃない。
「去年の夏につきあってた女の子覚えてる?」
カカシが聞くとナルトは寝返りを打って仰向けになった。丁度自来也との修行から帰ってきて任務が終わってからの事だ。ナルトが17歳の時だったなとカカシは思い出す。壊れたブラインドの隙間から外の光が忍び込んでくる。
「去年の夏?」
顔を隠すように腕を上げる。毛布が引っ張られたのでカカシが引きかえした。
「もっとこっちきてよ。ベッドちいさいんだから」
カカシの言葉に黙ってナルトはしたがう。シャツを通して互いの体温を感じる。
「ほら、黒目がでかいバンビみたいなこ」
「ああ」
「寝てたんでしょ?」
「何? やきもちだってば?」
「そうじゃないよ。可愛かったなあって。何で別れたの? ナルトの好みだったじゃない」
うつぶせになって腕を伸ばすと胸の下で枕が潰れた。その枕をナルトは抱え込む。
「何でだろ? そういや、可愛かったってばよ」
ナルトは女の子の事を思い出そうとしたが、大体の雰囲気は思い出せるのだが、細部を思い出そうとすると、ぼやけてしまう。そんな位の好きだったのかなと思うのと、何でカカシはいまさらそんな事きくのだ? と考える。
「なんでだろ」
あの当時は本当に好きだったのに、今じゃちゃんと思い出せない。彼女の声を思い出そうとすると疑問が沸き上がってくる。彼女は本当にこんな声だったのだろうか。
「冷めたんだってば」
それしか答えられない。ナルトは枕を放すと仰向けになって天井を見上げる。
「俺ってドベだから」
独言の様に呟く。
カカシは寝返りをうってナルトの横顔を見た。ナルトは少年の顔になっていた。後悔するように顔をしかめているが、少し懐かしんでいるふうにも見える。
「ドベだから、好きになると回り、見えなくなるからセーブしないと…ああ。だから駄目になったんだってばよ。きっと」
「何で? とことん好きになればいいじゃない」
「でも。何か理想ばっか先にいっちゃうんだってば。多分、彼女はこうでなくちゃ! とか思うんだってば。最初のがそうだった。でも、今度は失敗しないようにって、思ってたら駄目になってたんだってば。本気じゃないんでしょ、って一度喧嘩した。それからかなあ。俺たちが別れたのって」
カカシに判りやすく話そうとするのだけど、思いのほうが先にいってしまって思いついた単語を一つ一つ出す感じだ。
「……。ねるってばよ!」
ため息をつくとカカシも眼を閉じた。
人混みの中女の子が泣いていた。バンビの娘だ。女の子は必死でナルトに何かを訴えていたが、遠かったので声は聞こえない。女の子の右手がナルトの頬をうつ。ナルトはぼんやりとその後ろ姿を見ていた。
人が動いてる中、時間が止められたように立ってるナルトがひどく哀れで、印象的だった。周りの人は立ち止まってるナルトを迷惑そうに見て通りすぎていく。
たまたま本屋からの帰りカカシが出会ってしまった一コマだった。その時そこまで好きだった女と何故別れたのかカカシには判らなかったのだ。ゆっくりとナルトがカカシのほうを見る。瞳にはなにも映してなかった。
弱い。
ナルトが気がつく前に人混みにまぎれる。
カカシの視界を向日葵ふさいだ、一瞬のことに驚く。視野を広げると女の人が向日葵を抱えてカカシの前を横切っていくところだった。思わずカカシは見送ってしまう。切られた向日葵は少し元気がない。ナルトのようだとカカシは思った。
「ね。手、繋ごうよ」
右手を目の前に差し出すと眠そうにナルトが左眼をあける。
「…ーん」
そっけなく手がだされたので、カカシは自分から指を絡めてみる。ぴくりとナルトが震えた。もう少し強く握ると、握り返してくる。そのまま手を引くと唇をあててみた。入浴剤の香りがする。
「なんかね。人の体温って、安心するってばよ」
眠そうにナルトが口にする。
「うん」
風が出てきたらしく窓を鳴らす。寒さを感じてつないだ手を蒲団の中に手をいれる。
「ナルトー」
「うん?」
「感じてる?」
「何いってるんだってば」
ナルトの笑い声が闇に響いた。
「ん。俺としては感じてほしいの」
手を繋いだまま寝返りをうって、ナルトの股間に手を置く。少し力を入れてみると、ナルトが笑いながら身体をよじった。
手を上の方に移動するしてパンツのゴムと肌に触れると、ナルトの身体が緊張した。
そのまま指を隙間に入れようとすると本気で身体を引かれる。おびえたような眼が闇の中に見える。
「なに?」
ナルトが震える声でカカシに聞く。
「男のオナニーってさ、SEXなのか同性愛なのかって言うのがあるんだ」
「そんなの女のオナニーだっておんなじだってばよ」
「男のは出すから」
隙間に手を潜り込ませる指先にヘアが触れた。ナルトの瞳が閉じられる。ぎゅうっと閉じられた眼を見てると自然にやる気が失せた。ナルトの股間にさわりたい、擦りたい反応を見たいと言う気持ちでいっぱいだっのだけど、そんなやる気あったのかと思うくらい自然に消えていた。それに、非常に照れくさい。
「うそ」
舌を出すカカシ。気を抜かれたナルトが呆然として怒り出す。
「なんだってばよ!」
一通り怒りの言葉をきいてやると、ぷつりと切れたように黙り込む。怒り疲れたらしい。興奮した息が聞こえる。
目を閉じたナルトの顔を思い出した。あれはやってもいいと言うことだったはずだ。
「でもさあ、ナルト、俺でもよかったの?」
闇の中でカカシは頬を染めながら聞く。
「カカシ先生だからだってば」
「そう」
カカシは身体の位置を戻して目を閉じる。ナルトも身体を戻す気配がする。
眼を開けてみると、天井はゆらゆらと水の光りを映していた。ベランダにある水溜りになんらかの光りが反射しているのだろう。バケツがあったなとカカシは思い出していた。ナルトも眼を開けているのなら同じものを見ているはずだ。
キスもする。
手だってつないでる。
俺は、彼を好きなのか。
「もし、本当にセックスしたいなら、しようってば」
ナルトが言いながら手を繋いでくる。カカシは美味しい状況だなあと思っても、本当にナルトと寝たいのかどうか判らなくて、寝てしまったらどうなるのかなと少し不安になる。
「寝ない」
「どうして」
ナルトに対して少し余裕が出来たのでカカシは嬉しかった。でもまだ少しだけなのだ。もっと余裕をもってナルトとつきあえるようになったら寝てみようかと思う。
今のカカシはひどくいっぱいいっぱいで、ナルトを受けとめても遊ばせる心がない。それどころかナルトに余裕をもって受けとめられてしまうと、自分が余裕が無いくらいナルトが好きなんだという気持ちが沸き上がって悔しかったし恥ずかしいし焦る。
「まだ、恥ずかしいから」
その答えにナルトが笑う冗談だと思ったのだろう。それはそれでいいと思ってる。このくらいの事で反撃しては余裕なんかもてない。
「子供みたいだってば」
「俺、もう32よ?」
そんな歳なのだなとカカシはあらためて思う。歳の開きをさびしく思うときもある。でもそれは埋められない溝なのだ。
「大きな子供だってば」
言いながらナルトはカカシの頭を撫でた。少しだけ反撃するつもりでナルトの手を強く握り返してみる。
不意にベランダの枯れた向日葵を思い出した。
「あ、ねえ。ベランダの向日葵もう捨てなさい。かれてるじゃない」
「あ、忘れてたってばよ」
カカシは大笑いした。分けが判らずナルトがカカシに問うが、その答えはカカシにだって判らない。
おわり
(この小説は五年前の作品をリメイクしたものです)