はっきり言って焼きすぎた目玉焼きと言うのはいただけない。むろんそれが好きと言う人もいるだろうが、黄身はバサバサだし、白身は焼くために引いた多くの油を吸って油臭くぺリペリになっている。残念な事にナルトの焼いた目玉焼きはその焼きすぎた油臭い目玉焼きだった。カカシのアドバイスで仕上げに水を入れて蒸し焼きにしたから余計最悪になってしまう。油臭いのが全体に広がってしまったのだ。ナルトはこの世で一番難しい料理は目玉焼きだと思っている。完璧な目玉焼きが焼けるまで長い時間かかりそうだ。
 焼きすぎた目玉焼きをフライパンからどんぶりのご飯の上に移しかえている横で、先程からカカシがしきりとサスケの事を話している。少しだけならまだいいが、かれこれ二時間も話されていると聞きたくもなくなる。適当に相槌を打ちながらテーブルについて食事をする。減塩醤油をかけて黄身を崩す。ぼそりと黄身が砕けた。本当はトロリとご飯にかかるのが理想だが、しょうがない。ご飯をかきこみながらカカシに適当に答えを返す。本当は内容何か全然聞いてなかったが、聞き返して来たので適当に答えを返したのだ。
「カカシ先生。サスケがそんな好きなら結婚したらいいってば」
 ナルトの答えがカカシの的を得ていたらしく、カカシはそうそうと同意した。カカシの前にはもう冷えてしまっているスクランブルエッグがある。ナルトよりもずいぶん前にこさえていた気がする。二時間前ではないけど、少なくとも三十分前位。喋りながら造っていた。オレンジジュースでソースを造っていたのをナルトが「うっ」と引いたのを覚えている。
 七班、十班、及び中忍イルカのメンバーで半分修行の長期任務を任された。木の葉の里の宿泊施設を利用しているので回りも忍者だらけだ。七班、十班の他にも、今度の任務にと集まってきたメンバーが宿泊施設を使用している。サクラとイノは女の子ということもあり二人一部屋なのだが、カカシはナルトの監視ということもあり、理由をつけて同室にされていた。最初は不満そうだったカカシだが慣れるとナルトとの生活を楽しみだし、今ではいいルームメイトの関係になってる。他のメンバーはシカマルとサスケ、アスマとチョウジと組まされて部屋をあてがわれる。当然一人あぶれたイルカは一人部屋だが、生憎とこの宿泊施設の部屋がふさがってしまい、イルカだけアパートが借りられた。で、任務はそんなに大変なことかというと、何のことはない。ただ合宿していつもどおり任務をこなしていくだけで普段とあまり変わらない。
 出張所みたいなものだと三代目火影が言う。火の国は広いので当然木の葉の里に来れない者もいる。C、Dランクは山ほどあるし、仕事のたびに出張させるより時折こうやって方々に散ってもらったほうが効率がいいというのだが、多分費用の関係だろうと、子供達は話あってうなづいていた。
「だろー。きっとサスケの奴、ドレス似合うと思うんだ」
「でも、サスケ嫌がるってばよ」
 初めにカカシからサスケが好きだと聞いたとき物凄くナルトは驚いた。歳も離れているし、何より同性同士が恋愛するなどというのが聞いてはいても信じられなかったからだ。下忍ではそれほどでもないが、上のほう中忍、上忍になると同性同士平気で恋愛をするとはシカマルだかキバだかに聞いたことがあり、聞いた瞬間「うぇー」と言ったことを覚えてる。戦場で異性が少ないからと言う理由だったのだが、過酷な戦地で生き残って自分も認めた相手と生きるということは何らかの感情があるのだろう。下忍のナルトにはさっぱり分からない。聞いた後にそういえばと思い出すカップルも数人いて、なるほどとうなづいたのだ。
 カカシの告白を聞いてるうちに初めこそ驚いたものの、いつの間にかそんなものなのかと相談にのっていたのだが、カカシのサスケ話は半分のろけっぽくて、仕舞いには「聞いてるだけ」になってしまった。
 サスケはやはり人気が高い。美形だし優秀だしクールだし、老若男女この合宿所の中でもアイドル並みに騒がれている。それはちっとも悔しくない。「力」とか「戦いたい」とサスケを見てるやからを見ると悔しくなるが。騒がれてるサスケを見てると気の毒でならない。普段は寄り付かないナルトにもべったり引っ付いてる。誰かと一緒だと任務だろうと話しかけてこないので七班のメンバーに引っ付いてる事が多い。サクラとカカシはそれで大喜びだ。ナルトは普段と違うサスケに戸惑いを覚えつつも、意外と人懐こいサスケもいいかと苦笑をもらした。

 そう! そうなんだよ! カカシのフォークがナルトの顔に向けられる。ナルトは無視して目玉焼きどんぶりを食べる。
「絶対着ないと思うから俺が着てあげるんだ。似合うでしょー。俺」
 はいはい。似合うね。ピンクの口紅とかもいいんじゃない? ナルトの箸が目玉焼きの黄身を掴む。やはり口の中でボソボソしていている。カカシのお喋りは止まらない。今度はもう一寸前に火を止めて、甘辛いたれも造ってみようとナルトは箸を置いた。急須からどんぶりにお茶をいれる。
「カカシ先生、はやく食べたら?」
 気がついた様にカカシは食べ始める。まったく上忍形無しだなと呆れたようにため息をつきつつも、カカシの意外に子供っぽい面も見れて得した気分になって微笑んだ。普段あんなにクールなのに、サスケの事になるとどうしようと子供のナルトにわたわたと相談してくるのだ。
 仕事は終わったし、後はお風呂に入って寝るだけ。明日から完全二連休だから気が楽だ。任務も修行も無い。ゆっくりお茶を飲みながら心を緩める。
 イルカに電話して遊びの約束を取り付けなければと考えていたらカカシの視線にぶつかった。じっとナルトを見ている。
「何?」
「明日出かけようよ」
 え? である。今までサスケの話しをしていたのに、何処かで遊ぶ計画の言葉を聞き落としてしまったに違いない。
「明日?」
 可笑しな顔でナルトは聞き返した。その顔は聞いちゃいけないものを聞いてしまって、嘘でしょう? と、問いかける様な表情だった。
「だから、サスケと、俺と、ナルトで出かけようよ」
 なあんだと納得してナルトは背もたれに寄りかかった。サスケ絡みなら納得出来る。カカシは何かというとサスケを誘う時ナルトを誘う。その方がサスケが簡単にOKしてくれるから。なんだかんだいいながらサスケはナルトのことがお気に入りなのだ。そんなカカシが子供っぽくて可愛らしく、同時に哀れになってしまう。ナルトをだしに使うことでしかサスケを誘えないと言うことに。それだけシャイなんだと言ってしまえばそれまでだが、ナルトは可愛そうに思いながらも腹を立てていた。
「俺、お邪魔虫だってば。二人で行ったほうがいいってばよ」
「えー恥ずかしだろ。ナルトいるとさ、サスケってすんなりOKしてくれるんだよね」
 俺の予定はどうなるんだってばよ! ナルトは心の中で突っ込みを入れた。こうなると意地でも辞退したくなる。
「サスケ、うんて言うってば。二人で行けってばよ」
 渋っていたカカシを焚き付ける。どうせ三人で出かけたって途中でカカシはサスケにべったりなのだから。
「判った」
 渋々カカシが返事する。その返事を聞くとほっとして片づけを始める。食後に栄養剤を飲んでお風呂に湯をはりに行く。今日はゆっくり入りたいので少し温めにしてラベンダーの入浴剤を入れる。
「ナルトー。ナルトの電話鳴ってるよ!」
「えっ?」
 プライベートの関係もあって一人一台携帯電話が支給されていた。といっても、ナルトは特に連絡を取り合う相手もそう多くなくかかってくる電話も限られている。反対にカカシは上忍ということもあり、じゃんじゃんかかってきていて、たわいの無い話からかなり深刻な内容とさまざまだ。だからナルトは自分の電話の相手が分かっていた。
 慌てて飛び出ると、カカシに風呂を頼んで充電機から取り上げる。イルカの声が聞こえた。
「イルカ先生。どうしたんだってばよ?」
 ナルトの声が弾む。
―明日暇?
「俺もそう電話しようとしてた所だったってば!」
―家来いよ。ほら、お前が見たがっていたDVD来る前に買っておいたぞ。
「え? 何? どれ?」
―なんだっけ。外国のさ。ほら。
 イルカが主題歌を口ずさむ。
「行くってば! 早くてもいい?」
―じゃ待ってるから。
 電話が切れた。
 ナルトは一寸余韻に浸った。アシタヒマ? イエコイヨ。マッテルカラ。反芻してニヤニヤしてしまう。自分からかけようと思っていた相手からかかって来たのはとても嬉しい。ニヤニヤして顔を上げるとカカシと目があった。はっとして顔を引き締めるが、すぐに崩れてしまう。
「あ、先入ってもいい?」
「……いいよ」
 心なしかカカシの表情がぶすくれている。ナルトは気がつかずに風呂に向かった。
 イルカはお父さん的存在だ。若いのにお父さんも無いかなと思って今では、兄のように慕っている。昔から自分を見て分かってくれる存在。他の人には遠慮してしまうが、イルカにはあまり遠慮したことがない。迷惑もかけるけど、たまにかけられる事もある。時々自分一人のお兄ちゃんになってくれないかなあ。と思う時もあるが、それはナルトの我ままなので、我慢する。それでも他の子木の葉丸とかかまっていると知らず知らず嫉妬心が沸き上がってしまう。ナルト自身が木の葉丸の事を可愛がるのはいいのだ。お兄さんになったみたいで一寸気分がいいから。イルカが可愛がるのが嫌なのだ。
 ラベンダーの香りにナルトの手足が伸びる。天井に溜まった湯気が水滴となって落ちてくる。
「さ、出よ」
 明日のことを考えるとナルトは胸がドキドキしてくるのを感じた。

 イルカの部屋は相散らかっていた。イルカもナルトと知っていて掃除もしなかったらしい。散らかっていると言っても本とか資料が積み上げられているだけでゴミや服は床に置いてない。
「じゃーん。見ろ!」
 イルカがナルトの目の前にDVDを出すとナルトの瞳がきらきらと輝いた。
「うあー。面白かった? 面白かった?!」
 箱を受け取って裏の解説を読み始める。そんなナルトにイルカは目を細めた。何時もの忍者服ではなく私服。この間一緒に買いに行った胸に紐飾りが付いてる服とジーンズ。めったに見れないナルトの私服姿。
「早く、先生早く見せてってば!」
 ざっと目を通してナルトはイルカの腕に手を置いた。
 ナルトは自分の魅力に気がつかない。その無邪気な態度がどんなに他人を誘うのか。イルカもその誘いにかかってしまった一人だった。ナルトが自分を「兄」として接しているのは判るが、時々ふっと「好きで俺と一緒にいるんじゃないのか?」と錯覚してしまい何度も押し倒しそうになる自分を止めるのに苦労する。もちろんイルカの言ってる好きは、Hしたい好きである。沸き上がる独占欲。日増しに押さえ切れない位強くなっている。
「こいつひどい奴だってばよ!」
 ナルトの声に我に返る。真剣に画面を見ているナルトの横顔を可愛いと思った。少しロマンチックな映画でお涙頂戴のところでナルトのほうを見ると涙をこらえてみている。横のティッシュボックスからティッシュを渡すと無言で受け取って涙をぬぐった。しまいには箱ごとティッシュを差し出す。微笑みながらイルカが時々様子を見ていた。時が止まればいいのにと何度も思った。夕闇が部屋を満たす。
「あ、こんな時間」
 DVDを見終わっておしゃべりしてると、時間に気がついて慌ててナルトは立ち上がる。イルカは慌てて腕を引いた。ナルトの目がイルカを見る。青い瞳がガラスのようにきらめきドキリとした。
「どうせ休みだろ。明日。泊まっていけよ」
 ナルトは一寸困った顔をする。
「え? でも、俺着替えとか持ってきてないし」
「かすよ。それ位」
 帰したくない。もっとずっといたい。焦りがイルカの心を支配していく。
「いいのかってば?」
 ナルトはにこりと笑って提案を受け入れ、イルカが複雑そうな笑顔を見せる。嬉しいが困った様な笑い。何かをしでかしそうな自分をたしなめる。
 ナルトはカカシに外泊の電話しようかと思ったが、サスケの所に入り浸っているに違いないと思うと電話を止めた。お邪魔はしたくないし、かけたところで出るかどうか。とりあえず、寮母さんに電話してイルカの所にいる旨をつたえておいた。
「スパゲティーでいいよな?」
 嬉しそうにイルカは台所に立ち声をかける。
「うん」
 二人で夕食の用意をする。本当の兄弟みたいでナルトは嬉しかった。生野菜は嫌いだと文句を言いながらレタスを千切ってボウルに入れる。イルカは湯で上がったパスタを手早くナポリタンに仕上げていた。
 泊まらなければよかったと、ナルトは後悔することになる。
 そう、人を好きな気持ちは誰にも止められないのだ。

 時計の針が八時を刺した。カカシは時計に向けていた視線をテレビに移した。番組が面白くない。サスケを訪ねたが今日はいなかった。
 ナルト遅いなあ。
 カカシはぼんやりとテレビを見ていた。

 ソファーの前で大きくナルトは船を漕いでいる。まだ寝る時間ではないので床に座って腰を下ろしてテレビを見ているが限界が来てしまったらしい。
 隣でイルカがぼうっとテレビを見ていたが、ナルトの限界を知ると優しく「風呂はいって寝たら?」と声をかけた。
 ナルトはうなずくだけで、一向に寝る様子が無い。薄く唇が開かれている。イルカの瞳が唇に釘付けになった。
 鼓動が、大きい。
 視線が、外せない。
 止めろ。
 頭の片隅の声。理性が働かない。
 こんなチャンスは無い。
 囁く声。
 指で軽く触れてみる。柔らかい感触が指先に感じた。ナルトは気にしていない。相変わらず眠そうにぼんやりしている。
 もう、頭の中は心音しか聞こえない。
 イルカの顔が誘われる様に唇に落ちた。
 始めは軽かったキスが次第に濃厚な物になっていく。ナルトの目も徐々に覚めて事の次第に顔が青ざめる。
「イルカ先生」
 首筋にイルカは顔を埋めた。イルカの心は、もう、止められない。手に入れたい。どうしても。どうしてもナルトを手に入れたい。
「…や、嫌」
 ナルトの顔が恐怖で顔が引きつる。体が震えてくる。
「嫌!」
 ナルトの叫びは誰にも届かない。
 きつく閉じた目から銀の筋が引かれて行く。

 気がつくと薄暗い天井が目に入った。体の痛みにナルトは眉をしかめる。顔を動かすと裸のイルカの体が目に入ってナルトは全てを思いだし恐怖と悲しみで悲鳴を上げそうになった口を押さえる。何度も抱かれた体が、心が、痛む。
 何でだってば!
 痛みの疼きと、心臓の音が同じ位大きく感じる。
 裏切られた気がした。
 まさか自分がこんな事になろうとは思わなかった。
 起き上がって震えながら服を探す。
 探し出した服は無理な力が加わったため、所々奇妙に伸びていた。しかし、ナルトはこれしか着るものがないので、着る。
 出来るならイルカが起きる前に帰りたかった。
 手が震えて上手く着れない。
 思い出して嘔吐感が沸き上がりトイレによろけながら駆け込む。吐こうとしたが、吐けない。情けなく思うが涙も出ない。
 付けられた跡がひりひりする。
 戻るとイルカが体を起こしてナルトを見ていた。足がすくむ。足がすくんでナルトはそれ以上進めなかった。
「…何かいわないの?」
 先に言葉を出したのはナルト。沈黙が恐くて。謝罪の言葉を聞きたくて。
 イルカが目を反らす。
 丁度足下に転がっていたジーンズを拾い上げる。アンダーパンツがその近くに落ちていたのでそれも拾う。痛みにナルトの体が崩れた。
「俺、男だってばよ…」
「知ってる」
 イルカの言葉が冷たく感じて温もりを求める様にジーンズを抱きしめる。
「女じゃないってば」
 情けなかった。抵抗しても外せない自分の力が。感じてしまった自分の体が。女の様に抱かれた自分が。
 恐かった。イルカの目が。力が。唇が。言葉が。
「お前が好きだ」
 イルカの目が再びナルトを見つめる。真剣な眼差し。恐い。ナルトは体を引いた。
「…嫌だってば。そうやって言葉でごまかして。イルカ先生優しいもん。抱くためにその言葉使うんだってば!」
 イルカの行動は素早かった。ナルトを捕えるとその体を抱きしめる。強く。強く。
「嫌!」
 ナルトがSEXを思い出して激しく抵抗した。それでもイルカが強く抱いていると、観念したようにナルトの体から力が抜けた。
「傷つけたよな。でも、好きなことは本気だから」
 ナルトはまだ許せない。一生許さないかも知れない。
「ゆるさない。絶対許さないってばよ」
 ナルトの瞳には憎しみが浮かんでいた。イルカが手を離すと手早く着替えを済ませて部屋を出ていく。
 イルカは何の表情も見せないで午後の光の中に出ていくナルトを見ている。

 どうやって帰ったのかナルトは覚えていない。
 帰って真っ先にしたことは風呂に入る事だった。付けられた跡を消そうとして力強く擦ると赤くなってしまう。今更涙が出てきてナルトは泣きながら体を擦った。
 カカシはいなかった。良かったとナルトは思った。何となく顔が会わせ辛いから。今は誰にも会いたくなかった。
 掴まれた手の跡が消えない。
「消えない…ちっとも、消えない」
 呟きながらナルトは体を擦る。ナルトの電話が鳴っていた。耳を塞ぎたい。きっとイルカからだ。
 電話が切れた。
 俺、男なのに。何度も繰り返す。
 しばらくすると感情が冷えてきていた。憎しみも、悲しみも全て凍ってしまえばいい。一種の自己防衛だ。それは脆い薄い鎧だった。
 ナルトが風呂から上がると同時にカカシが帰ってくる。勢いよく開いたドアの後に元気な声が響いた。
「たっだいま!」
 着替えて出るとカカシが床に戦利品を広げている。
「あ、ナルト」
 にっこりと微笑んでカカシがナルトを見る。
「見てみて。買っちゃった。昨日はさ、サスケがいなくて駄目だったけど、今日さ、サスケと一緒に街行ったんだ。そしたらさあ、良いでしょ? このシャツ。サスケが選んでくれたんだよ」
 気のない返事を返してナルトは冷蔵庫に向かっていた。
 腹が空いたのだ。昨日の夕飯から何も食べていない。こんな時でも腹も減る自分に笑いを覚えてしまう。その、笑ってしまう自分をまた笑ってしまう。
「どうしたの? 擦りむいたの?」
 カカシがナルトのパジャマの袖から見える腕の赤みに気がついた。
 ナルトは気がついた様に自分の手を見た。そう言えば怪我に見えない事もない。
「、ああ。そうだってば。怪我したんだってばよ」
 ナルトは卵を取り出して温めたフライパンに割り入れた。フライパンに蓋をしてどんぶりにご飯をよそる。
「どうしたの? 元気無いじゃない」
「そう?」
 カカシが何時ものごとくサスケの事を話し始める。
 聞いているとイルカとのSEXを思い出してムカムカしてきた。それ以上聞きたくない。
「…カカシ先生はサスケを抱きたいの?」
「えっ?」
 ナルトの言葉にカカシは一瞬戸惑ったが、すぐに照れたような笑いを見せた。
「なに言い出すんだよ。Hだなあ。ナルトは。露骨な表現するんじゃないよ。当たり前じゃないか」
 けらけらとカカシが笑う。イルカ先生と同じだってば。ナルトは眉をひそめた。火を止めて目玉焼きをどんぶりに移す。珍しく上手に焼けた。ナルトの電話がなる。
「鳴ってるよ?」
「いいってば。別に」
 多分イルカだと思うから。今出てしまったら弱い自分を認めてしまいそうだし、何よりもイルカの恐怖感と行為自体を思い出しそうで、嫌、だった。
「早く出なよ」
 焦れたようにカカシが言う。充電機の電話は鳴り続けて留守録にかわった。三件目の録音。
「なに。あ、再生してやるよ」
 やめてと椅子を乱暴に引いて立ち上がって手を伸ばすが、止める間もなくカカシが再生する。
 一件目のイルカの声。二件目のイルカの声。三件目のイルカの声。どれも電話が欲しいとメッセージが入っている。
 鎧が破れる。
 蘇る記憶。耐え切れずナルトはその場にしゃがみこんで耳を押さえる。イルカの声を聞きたくなかった。
「ナルト…?」
 いぶかしそうにカカシがナルトを見る。シャツの隙間からイルカが付けた跡が見えてカカシはぎくりと動きを止めた。カカシの心音が大きくなった気がする。普通では絶対出来ない跡。異様に怯えているナルト。擦られた赤みの下から覗く指の跡。普段なら治ってしまうはずの、「軽い怪我」。
 瞬時に理解した。
 ナルトが泣きながらカカシを見上げる。
「消して。留守録消して」
「イルカ先生に、」
 言葉が続けられない。カカシは泣いているナルトに何か声をかけなくてはと色々言葉を探すが結局言葉の続きしかなくて思い切って言う。
「レイプされたの?」
 小さくナルトが反応した。きっ、と、前を睨んで立ち上がる。言葉を否定するように。
 鎧が復活した。どこかまだ破れているようで修復されきっていない。
「ちがうってば。喧嘩」
 拳で涙を拭ってナルトは食事の続きを始めた。しかし、一度確認された言葉は取り消しがきかない。震えながらナルトの箸が鈍っていく。
 慰めようとカカシがナルトの体に手を触れようとするが、怯えて体を引かれてしまう。
「傷が…痛いんだってば」
 上手に焼けた目玉焼きは味がさっぱりしなかった。ご飯も喉にささって痛い。ナルトは食べるのを諦めた。
「…何で」
 カカシが悲しそうにナルトに聞いた。何を聞きたいのか判らない。カカシに嘘を付く事か、イルカが何故レイプをしたのか、何を聞きたいのか判らない。
「痛いんだってば。傷。カカシ先生、傷は痛いんだってば」
 ナルトは自分を抱いた。
 耐え切れずに涙がこぼれてしまう。泣きながらご飯を食べ様とすると、カカシがいきなり怒り出した。
「何で! どうして!」
 怒りは内側に向けられていた。その怒りが何の怒りかカカシは気がつきたくない。
「カカシ先生だって同じだってばよ。サスケを抱きたいと思てるんだろ?」
 厳しい目でナルトはカカシを見ていた。傷が痛いとは、サスケを抱くのなら、それなりの覚悟はあるんだろうな? と言う意味だったのだ。カカシは合点して愕然とした。
 ぷい。とそっぽを向くナルト。涙を拭うと一気にご飯を食べる。ナルトの心は落ち着いていく。恐いくらいに。暫くの無言。
「ごちそうさま」
 ナルトはどんぶりをもって立ち上がった。
「…どうすんの…」
 流しに立つナルトの背中に声をかける。
「どうもしない。今まで通り」
 その言葉が普通過ぎて恐い。何かまともじゃなさそうで何処か気がつかない所が壊れていそうで。
「でも顔会わせたくないだろ?」
「仕事だし」
 淡々としてナルトが語る。
 水音が聞こえる。
「…そんなの、悲しい」
「悲しいも何も。仕事だってば。そうでしょ?」
 言葉が続けられない。カカシは居心地悪そうに座り直した。
「たかが、体ごとき。殺されるわけじゃないってば」
 ふと浮かんで口にした言葉を言い聞かせるために音にしてみる。心で思っているよりは現実的だ。納得出来る。

「憎んで行くと思う。ずっと」
 ぽそりと呟いた言葉はナイフみたいだった。ナルトがこんなに冷たく誰かを憎むなんて考えたこともないカカシはどうしていいのか判らずナルトを見ていた。

 電話が来ない。
 イルカは一人で寝ていた。天井を見上げる。
 腕の中で抵抗するナルトを見たとき、心の奥から何かが、ぞろり、と這い出てきた。ナルトの気持ちも考えていたが、心の奥から出てきたそいつに勝てない。泣き叫ぶナルトに欲情する、手が勝手に動く。ナルトの声がまだ耳から離れない。
 電話をかけようとして手が止まる。
 やりきれなくてイルカは蒲団にくるまった。
 口では謝ったが悪い事をしたとは思っていない。今まで通りじゃ嫌だった。どんな事をしてもいいからナルトを手に入れたかった。「兄」としての立場を壊したかった。「男」として意識してほしかった。
 吐息が唇を開かせる。

 止めて!
 両手に力を入れるがびくともしない。イルカの体重を体で感じる。重い。
 嫌!
 何度も叫んだ言葉。喉が痛い。乾いたソコに固く濡れた物が押しつけられる。足を抱えられ…。荒い息遣いのイルカが体を進めて。

 目が覚めるとナルトは飛び起きて自分の体、服装を見た。次に自分の部屋だと言うことを確認して安堵のため息を付く。忘れたいのに、日がたつにつれ忘れる所か細部まで思い出してしまう。
「う…」
 嘔吐感。堪らない位。走ってトイレに駆け込むが何も吐けない。指を突っ込んでみるが吐けない。
 悲しかった。苦しかった。いっそ吐けたら楽なのだろうが、吐けない。
 吐けなかったが水を流してトイレから出るとカカシが冷蔵庫の前にしゃがんでいた。一瞬ぎくりとして足を止める。イルカだと思ったのだ。
「…カカシ先生?」
 確認するように声をかける。振り向いたカカシの手に牛乳パックがあった。
「お腹空いた…」
 情けなさそうにカカシが声を上げる。ナルトは夢を忘れて微笑んだ。
「牛乳で腹が膨れるわけないってばよ!」
 容赦なく突っ込みを入れる。カカシは口を尖らせた。
「パンケーキ焼くんだよ。ナルトは食べないんだね?」
 ぷいと拗ねてカカシは小麦粉を探した。本当は何も腹に入れたく無いのだが、つられて「カカシ先生っておっとこ前だってば」と機嫌をとった。気分を治したカカシは卵をボールに割り入れてホイップする。黄身は別の入れ物に取る。
 ナルトはテーブルに付いた。
「卵白をね。フワフワにすると凄い美味しいんだよ」
 カカシは楽しそうに卵白をホイップする。気遣っているのが判って、すまなそうにナルトは微笑んだ。
「つかれた。ナルトかわってよ」
 手を止めてカカシはナルトの方にボウルを押した。
「うん」
 ボウルを受け取ると卵白を泡立てる。
「つのが立ったらいいよ」
 カカシは小麦粉とグラニュー糖を振るっていた。卵白が白くなっていく。ホイッパーが重くなって行く。
「カカシ先生。こん位?」
 いい加減疲れて来たのか、ナルトが根を上げる。カカシはボウルをのぞき込み、ホイッパーを受け取ろうと手を伸ばした。
 咄嗟にナルトが身を引く。気がついてカカシを見ると悲しそうな顔でナルトを見ている。どう行動して良いのか判らずナルトは目を見開いてカカシを見ていた。
「…ナルト。ここには君を傷つける手は無いんだよ」
 カカシは困ったように笑う。
「ごめん…。判っているってば」
 きまり悪い。ナルトが俯く。
「でも。恐いんだってば。ぞっとするんだってばよ」
「俺の手はナルトを傷つけない。アスマも。シカマルも。サスケも。大勢の前ではイルカ先生も」
 カカシはそっとナルトに手を伸ばした。
「他の人に気付かれたくないんでしょ? だったら、俺の手を恐がらないで。俺の手はナルトを傷付けたりしないから」
 目の前に手を差し出す。ナルトはカカシを見た。優しい笑顔でナルトを見る。笑顔に誘われる様にナルトはカカシの手に手を伸ばした。
 少し手が震えている。カカシはナルトの手を両手で包むと、「大丈夫だよ」と、何度も繰り返す。考え込んでカカシは「俺はサスケが好きなんだから。ナルトには危害を加えないよ」と言葉を加える。
 ナルトの体から力が抜けていった。そのままナルトの隣に椅子を引いていく。
 ゆっくりとカカシはナルトの肩を抱いた。
「…人が温かいって、久しぶりに感じたってば」
 ナルトの体から緊張が解けていく。カカシは優しく肩を抱いていた。
「うん」
 ナルトの瞬きの回数が多くなる。眠いんだな。カカシは自分の肩にナルトを引き寄せた。
「寝ていいよ。このところ、ろくに寝てないんでしょう?」
 返事も聞かずにナルトは夢の中に落ちていった。カカシはナルトをベットに運んで静かに挨拶をする。
 嫌な夢は見なかった。
 ナルトは青空の下で目玉焼きを焼いていた。カカシが側に立っている。
 フライパンの卵焼きは、恋だ。段々、段々黄身が固くなって行く。
 テーブルには先程力を入れすぎて焼きすぎた目玉焼きが乗っていた。その前にイルカが座っている。
 ほら、早く皿にとりなよ。
 カカシが目玉焼きの出来上がりを指示する。先程はイルカが細かく指示したが目玉焼きは焼きすぎて固かった。
 カカシは目玉焼きに気を取られていない。明後日の方を見たりナルトと話したりしている。時々焼き加減を見て、今、ナルトに指示した。
「あ、半熟だってば」
 ナルトが好きな固さだよね。
 カカシが笑う。皿を持ったままナルトがカカシを見上げる。
 そんな夢を見た。

 ナルトは仕事を上手くやっていた。イルカにさりげなく普通に接しているし、他の誰もそれに気がつかない。イルカとの事を知っているのはカカシとイルカとナルトだけ。
 ナルトはこの頃風呂が長い。上がってくると何時も体を真っ赤にしている。それを目にする度、カカシは目を反らしてしまう。
「ウスラトンカチ!」
 サスケはこの合宿所でナルトにずいぶんとなついて悪口をいいながらも子供じみた独占欲を出し、ナルトに仕切りと突っかかっている。恋愛事が絡んでないと知っているが、カカシは嫉妬してしまう。
 どっちに?
 心の声が問いかける。
 ナルトに決まってる。そう答えると決まって嘘つきと返事が返ってくる。
「カカシ先生助けて!」
 その声にびくりとして顔を上げると、サスケがナルトを押し倒していた。
 カカシが慌ててサスケを退かす。
 ふざけていたのにかなり真剣に引き離すカカシに回りが唖然とした。カカシも自分の行動に気がついて咄嗟に「先生を仲間外れにしないで!」とおどけてみせると、笑いが巻き起こる。
 イルカの目がだけが厳しくなった。そのイルカの目とあうと、カカシも負けない位厳しい目でイルカを睨む。
「…話しあるんだけど」
 イルカの耳元で言うと、イルカが立ち上がって頷いた。


「もう、ナルトにさわらないで」
 寒いのか屋上は人がいない。イルカをそこに連れ出すとカカシは言った。
「…聞いたんですか?」
「聞いてない。ルームメイトだから判っただけだよ。少し考えれば判るでしょ」
 カカシは落ち着かなく歩く。腹立たしい気持ちを紛らわす為に。
「あんた最低だよ」
「…ええ。最低です」
 言葉が無くなる。カカシの足が止まった。
「何で」
 この間からの言葉の続き。言えなかった言葉の続き。
「何でナルトなの?」
 それは自分もナルトが好きだと言うことを告げる台詞。自分が認めたくなくて否定し続けた台詞。もう気持ちが止められない。
「好きだから。俺のものにしたかったから」
「だから?」
 カカシは鼻で笑った。
「子供みたいですね。好きだから、SEXしました。向いてもらえないから」
「カカシ先生!」
「レイプ…しました…って?」
 いきなりイルカの拳が飛んでくる。カカシはひょいと避けた。
「事実でしょ? あんたがナルトを傷つけたんだから」
 がくりとイルカが肩を落とした。
「あいつ、俺を見るとき、頼ってる、信用してるって目してる。俺はそれじゃ嫌なんです。求めて欲しい。恋して欲しい。恐れてほしい」
 イルカの気持ちが判らなくはなかった。カカシもナルトが欲しいから。気持ちを向かせたいから。
「俺も同じですよ。でも、俺は、ナルトが好きだから。憎まれたく無いから」
「それで、満足ですか?」
 イルカの言葉にカカシの表情が歪む。
「本当はさ、ぼこぼこに殴ってやろうって思ったんですよ。俺、無茶苦茶頭来てるし。でも。あなた。こうやって言葉で攻めた方が、殴られるより痛いの知ってるから。俺、優しくないから殴りませんよ」
「カカシ先生はナルトと寝たくないのですか?」
 カカシはイルカの言葉に答えられない。
 寝たいから。
 何方も引かないし、引けない。シカマルが捜しに来るまで二人はにらみ合っていた。
「俺はあなたと違うから」
 捨て台詞の様に擦れ違い様吐き捨てる。イルカはじっとカカシの背中を見ていた。


 黄身をつぶしてしまい、目玉焼きから卵焼きにかえてしまう。ついでにミックス・ベジタブルも加えて塩、胡椒した。ぼんやりと焼けるのを見ているナルト。
「ねえ。ナルト」
「…ん…?」
 フライ返しでひっくり返す。
「付き合わない?」
 緊張の一瞬。答えは二つに一つ。殆ど見込みなしのYESと、多分この返事だろうというNO。
「何処に?」
 とぼけてナルトが答える。
「傷が塞がる場所まで」
 真剣にカカシが答える。ナルトは無表情で振り返った。
「サスケと上手く行ってないてば?」
「そういうんじゃないよ。ナルトがさ、他の誰かと笑って付き合えるまで、俺が守ってあげる」
 シニカルにナルトが笑った。
「無茶言うなってば。それってSEX抜きって事? そんなん無理だってばよ」
 ナルトは笑っていた。
 しばらく無言でフライパンをかき回す。カカシはそんなナルトの様子を見ていた。今は見慣れてしまった普段着。最初の頃は半袖とか着ていたのに今はタートルネックの長袖しか着ているのを見た事がない。短く刈り込んだ髪の毛から見えるはずの項は襟で隠されてしまっている。
 薄い背中だな。
 改めてカカシはナルトが幼い事に気がついた。
「俺、自分なりに考えてみたんだってば。もしかして、イルカ先生が好きなのかな、自分じゃ気がつかないけど、誘ってたのかなって。自分の兄ちゃんになってくれないかなって思ったこともあったし」
 カチンと音がしてフライパンを持って振り返る。柔らかい笑顔が浮かんでいる。テーブルに置いてあった皿に卵焼きをのせる。一寸ぐちゃぐちゃであまり美味しそうに見えなかった。
「俺、一番ショックだったのって、女みたいに身悶える自分が一番ショックだったってばよ」
 イルカ先生の事もショックだったってば。ナルトは笑う。ご飯を頬張るナルトをじっと見ているカカシ。
「でも。イルカ先生の事はやっぱり、兄ちゃんとしか思えない。多分、本当の家族になったほしかったんだろうなって思うんだってば」
 塩味が足りないのかナルトはケチャップをかけた。「うまい?」と聞くとナルトがカカシの口元に卵焼きを運んでくれる。カカシはそれを食べた。
「どうや?」
「うわ。まず」
 本当に酷い味だった。失礼だだってばよ! と憤慨してナルトは再び食べ始めた。しばらく食べてぴたりと箸を止める。
「恨んでる。けど嫌いじゃないってば。多分ずっとイルカ先生は俺の兄ちゃんなんだってば」
 肘を付いてナルトは遠くを見た。
 カカシは憎むより残酷な仕打ちだなと思う。イルカはこれから、ナルトが好きになる人や、寝ている人を見ていかなければいけないのだ。
 口の中の玉子焼きが自己主張をはじめて、カカシは眉を寄せた。
「ナルト。やっぱりまずいよこれ」
「失礼だってばよ!」
 カカシは自分のポジションを聞くのが恐かったが聞いてみない事には始まらない。取り敢えずナルトを引きつける様にと艶然と微笑んでみせた。お互いまだスタートラインに立ったばかりなのだから。手に入れられるかも知れない。
「多分ね。俺はナルトが思っている以上に本気だよ」
「カカシ先生…でも…」
「まった。一寸待って。俺、返事聞くの恐いんだ。臆病者だろ?」
 ナルトが何か言いたそうに口を開ける。カカシの笑顔で何も言えなくなる。
「情けない。結構緊張して、手震えちゃってるよ」
 ほら。と手を差し出すカカシにナルトが微笑みを漏らす。
「サスケを好きなんでしょ?」
「片思いは修正がきくよ。それにね。サスケのことは半分ミーハーだしね」
 嘘ではない。ふっとそうではないかと気がつく自分がいるのだ。美形だし他の人が騒いでるからつい自分もとノリで好きになった部分もある。でも、片思いしていた自分を否定はしない。サスケといて楽しかった。それにサスケはサスケで別な人が好きらしい。
「サスケ、本命いるよ」
 そういってしまうと寂しい遠い目をしてしまう。少しは本気だったかなとカカシは笑った。
 ほんの数分間の沈黙が長く、長く感じる。沈黙を破って欲しいと二人が願い始めた時、ナルトの電話が鳴った。
 ナルトの体が緊張する。
 すっとカカシが電話を取った。
「はい。もしもし」
―…ナルトはいますか?
 イルカの声に電話を切ろうとしたが、カカシは「待って」と告げると保留してナルトに電話を渡した。テーブルを回ってナルトが受け取る。
「逃げる? 戦う?」
 伸ばされた指先が震えてる。ナルトは保留をもう一度押した。
「もしもし…」
 双方とも無言で受話器を持っていた。
―ナルト…。
 甘く掠れる様な声。ナルトを求めているのが判る。でもナルトは受け入れることが出来ない。イルカはお兄ちゃんなのだから。
「どうしたんだってば?」
―俺、お前が。
「待って!」
 イルカの言葉を止める。ナルトは泣く寸前で痛む喉を沈めた。
「あの。イルカ先生は兄ちゃんなんだってば。どうしても兄ちゃんなんだってば。好きだけど、駄目なの。恨んでる。でも嫌いじゃないってば」
―俺は、それじゃ嫌なんだ!
 強い言葉が返って来た。
「でも…」
 いきなり電話が取り上げられて切られる。カカシが恐い顔で見ていた。
「言うだけ言ったんなら大丈夫だよ」
 充電機に電話を戻すと、ぷいと背中を見せる。
「…あの。泣いてもいい? 俺、まともに泣いてなかった事思い…だし…!」
 言い終わらない内にナルトは座り込んでぼろぼろ涙を流した。
「いいよ。泣きなよ。秘密にしてあげる」
 カカシは手を伸ばさない。泣くだけ泣かせてやる。
「大っ嫌いだってば!」
 ナルトは床に顔を伏せた。

「隣いいか?」
 何時もなら人の意見など聞かないサスケがカカシに許可を求めている。気味悪く思いながらカカシは場所を開けた。
 昼休みのほんのひと時。珍しくナルトとサクラが仲良く話している。
 人の動きや、全体の流れ。人間関係や、人の気持ち。ぼんやりと人を見ているカカシに静かなサスケの声が聞こえた。
「…どうかしたのあんた達」
「え?」
 ひたりと頬に冷えたスポーツドリンクのペットボトルを押しつけられてカカシは小さく悲鳴を上げた。
「やる」
 明後日の方を向きながらぶっきらぼうにサスケがペットボトルを渡す。お礼を言って受け取ると蓋をひねる。パキンと開封する音が以外に大きく響く。
「サクラがすげえ心配していた」
「サクラに言われて来たの?」
「それもある」
 まともにサスケの目とあった。
「ナルト、イルカ先生に、強姦されたんだろ?」
 ごくりとカカシの喉がなった。目を見開いてサスケを見る。思考がとまる。
「サクラは知らない。アスマ先生も知らない。俺は知っている」
 相変わらず要点しか言わない男だ。
「ナルトが言ったの?」
「判るよ。見ているから」
 膝に頬杖を付いて人を見ている。カカシも何気なく人を見るふりをして目を逸らした。
「ナルトを?」
「あんたも。イルカ先生も。シカマルも。イノも。サクラも」
 ふっとカカシが体を伸ばす。
「…そうだよ。ナルトはイルカに犯された」
 沈黙。人の言葉が二人の耳に響く。サスケは何処を見ているのか判らない。言葉を探しているのかも知れない。カカシもぼんやりと人を見ていた。
「…あのなあ。俺、あんまり喋らないからどんな表現していいか判らないけど。人間ってさ、腕の中に大きな水の球体を持っているんだ」
 サスケの目がちらりとカカシを見た。カカシは何でもない振りをしてサスケの言葉に耳を傾けていた。
「イルカ先生と俺のボールってのは大きいんだ。で、あんたとナルトが同じ位、丁度良いボール」
 何か失敗したらしいチョウジがシカマルに文句を言われている。気にもしない風にあははと笑ってシカマルの肩を叩いていた。どこかで何か作っている金鎚の音が響く。
「俺はその中でナルトを遊ばせる事が出来る。イルカ先生も同じく。でもさ。俺は軽く支えているだけだけど、イルカ先生は抱え込んじゃっているんだ。外敵にさらされない様に。だから息継ぎが出来なくてナルトが逃げる」
 サクラに言い寄ってるナルトが見えた。イルカが横目でそれを見ている。明らかにナルトはイルカに怯えている。サクラがいるうちは大丈夫だとカカシは無視した。
「イルカ先生の思いは大き過ぎてナルトには受け切れないんだよ」
「水の話しだろ?」
「水の話しさ。最初に言ったろう? あんたとナルトの水のボールの大きさは同じだって。全部見えてしまうけど、どんな形か理解している。好きなところも嫌いなところも理解しているからお互い取り替えたって違和感が無いし、抱き込める。そうだろ?」
「……何が言いたい」
「このままじゃナルトが溺れ死ぬ」
「知ってるよ。でもさ、どうすりゃいいのさ。知ってるからどうも出来ないんじゃないか!」
 そこまで言ってカカシははっとしてサスケの顔を見た。予測していた様にサスケもカカシを見ている。ナルトが好きなんてカカシは一度も言ってない。
「……何時から気がついていたの?」
 鼻でサスケが笑う。
「俺の事好きだって言い出した時から」
「でも。俺、本当にサスケが」
「違うんだ」
 訳知り顔でサスケは俯いた。カカシが動揺して体を動かしている。何か言おうとしているのか口が動く。
「まあ、あんたは違うと言いたいのは判る。でも、俺と話しながらあんた、ナルトの表情気にしていたよ。焼いてほしいって見ていた」
 どんと突き落とされた気分だった。
 そうなのだ。カカシはサスケとの仲を円滑にしたくてナルトを利用していたのではない。ナルトに嫉妬されたくてサスケを利用していたのだ。恥ずかしそうに顔に手を当てる。
「……そうなんだよ。嫉妬して欲しかったんだよ。そうしたら俺が好きって判るでしょう? でもさ。まるっきり態度普通でさ、俺のほうがイルカに嫉妬していた。それが」
 カカシが言葉を切る。きゅっと唇を噛んで前を見る。
「どうすりゃいいんだよ。ナルト傷ついているよ。余計手出し出来ない。知ってる? 寝てるとき凄い苦しそうにうなされてんだよ。声かけてやろうと入るじゃない。そうするとさ小さな声で何度も止めて。って言ってさ。きっとあいつの事夢に見ているんだよ。起こしたかったけど、起こした時ナルトどうなんだろうって考えると起こせない。だってさ、恥ずかしいだろ。思い出したくも無いことを夢に見ている時にさ」
 サスケがペットボトルを指す。飲んだら? と進めると震えながらカカシは飲んだ。掌で温まった液体が喉を潤して行く。
「イルカを一生憎むって言った時、俺、一瞬自分をイルカに重ねた。俺も手を出したらこうやってこの瞳でナルトに憎まれて行くんだと思うとぞっとした。好きになって欲しい。きちんと告白したい。でも、出来ない」
 じっとサスケはカカシの言葉を聞いていた。言葉を探して視線をさまよわせる。
「…そうだな。このままだったらあんた一生告白出来ないかもな」
 サスケの言葉がぐさりとカカシを刺す。
「どうやって怪我治す?」
 はあ? カカシが聞き返す。サスケは何時もの無表情でカカシを見ていた。
「自然治癒。とか、薬? とか治療」
「じゃあ。治療してやれよ。時間かけてさ」
 ふっとサスケの言ってる言葉を理解してカカシは大きく頷いて笑った。
「しかし、なっさけないね。俺。子供のお前にこんな諭されちゃったり、相談しちゃったり」
 あきれた様にカカシは手足を伸ばすと天井を見上げた。
 サスケは微笑んだだけで何も答えない。カカシが思っている以上に大人なんだとしみじみ思ってちらりとサスケを見ると、サスケは誰かから視線を外すところだった。
 ああ。
 カカシはそれで合点がいく。サスケが早く大人にならなくてはいけない理由がサスケの視線の先にいたから。
「……お前がつらいときは今度は俺が道を教えてやるよ」
「……」
 笑っただけでサスケは何も答えなかった。


 ナルトはサクラの側を離れなかった。離れればイルカが近寄って来るから。それが恐くてサクラの側を離れなかった。
 何時になくおびえて甘えてくるナルトにサクラは姉のように優しく微笑んだ。いらつくことも疎ましいとも思う時があるが、やはりサクラにとってのナルトは出来の悪い弟そのもので、こうやって怯えたように甘えられると邪険にも出来ない。
「どうしたの?」
 小さくナルトが首を振る。何時ものナルトらしくない。安心させるようにサクラはナルトの手を握った。されたことが無い仕草に驚いてナルトが顔をあげると、自愛に満ちたサクラの笑顔があって、嘘はつけないなと甘えてサクラの手を握り返す。
「どうしたの。嫌なことでもあったの?」
「あった。でも俺の問題だってば」
 幼児のようにサクラの手を握り締めてはなさい。落ち着く。狭い所で体を丸めて眠る様に落ち着く。サクラはそうなのとナルトの手を振った。話せと言う事だ。ナルトは渋々話す。
「俺…嫌なことされて。でも恨むけど、その人の事、好きなんだってば。それで。別に好きだって言ってくれる人がいるんだけど。その人、嫌なことされた人にされた嫌な事知ってて好きだっていってくれるから、少し気になってるけど、嫌なことが引っかかって正直になれないんだってば」
 ぼんやりとナルトが話す。身も心も安心しきっていた。
「俺、最初の人が好きの好きは違うと思う。友達が好きとか、兄弟が好きとかそっちの好き。でも。後ろの人の好きは一寸違うみたいなんだってば」
 大きく息を吸うとサクラ匂いがする。シャンプーだろうか香水だろうか。もう少し近くに寄る。
 サスケとカカシが見えた。二人で何かを話している。ナルトの胸が痛む。
 カカシの告白は嬉しい。凄く嬉しかった。別に男でも女でもカカシは付き合っていて気持ちが良いタイプでナルトは人間として元から好きだ。イルカがナルトを強姦したと判った時、カカシは優しかった。その優しさに浸ってナルトの心が呼吸していくのが判る。イルカに犯されてから、ナルトの心はその事で一杯で呼吸できなかった。
 カカシはそのナルトの肩を抱いて、大丈夫だよと何度も囁いてくれた。初めは友情と先生としての敬愛以外抱いていなかったナルトの心がカカシを受け入れる。カカシが好き。
 でも。
 ナルトは自分の体を見る。
 汚れてしまった体。
 カカシの隣には自然な汚れを知らない人の方が似合う。
 サクラの手がナルトの髪をかきまぜる。子供のようにナルトは受けていた。
「心でもやもやしてるよりは、告白してすっきりした方がいいんじゃない?」
「けど。だって、告白して、うん。って言われても、同情だったらいやだってば」
「同情の何処が駄目なの?」
 意外な答えにサクラの目を見る。サクラの目は何時も通り優しいけど、瞳の奥に厳しい物があった。
「だって、その人はナルトが好きだから可愛そうって思っているんでしょ? いいじゃない。それに、告白したのはその人なんだから責任はその人にあるから、ナルト頼っちゃいなさいよ。好きなんでしょう?」
 口を開けてナルトはサクラを見ていた。サクラは相変わらず厳しい光を見せていた。
「嫌なことされて、自分が嫌いになったのなら、その子がナルトの嫌いの分まで好きになってくれるわよ」
 ドキドキしていた。
 カカシを好きになる事が許されるのかと思うとドキドキしていた。もやもやしていたのが一気に晴れる感覚。サクラの首に飛びつくとナルトはぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう。疑問解決だってば」
 カカシを好きなんだと気がついてからは前を向く気持ちが強くなった。自信が沸いてくる。
「ありがとお!」
「ちょーしこくな!」
 ばしんと抱きついたのを咎められて殴られる。ナルトはばれたかーとばかりに笑った。サクラも怒りながら優しい微笑みを浮かべている。
 サクラの側を離れるとカカシを探す。何処かに移動したらしく見当たらない。イルカが寄ってきた。
「ナルト」
 一瞬身構えたが、ナルトはにこりと微笑んだ。
「俺、カカシ先生が好きなんだってば」
 その言葉が勇気になる。
「何だよ。それ」
 イルカがナルトの手を引いた。
「俺は、お前が、好きなんだ。どうしようもないくらい。どうしていいか判らない位!」
 人混みで抱きしめられて無理矢理キスを迫られるがナルトは俯いてかわす。
 ふと、顔を上げてイルカの瞳をじっと見つめる。
 カカシの顔が心に浮かんだ。
「イルカ先生。俺、酷い奴だと思うけど。俺」
 言葉を止める。イルカの反応を見る為に。これから言おうとする自分の言葉の為に。
「カカシ先生になら、体も心もあげられる。俺、カカシ先生と寝たいって、自分で思った。自分から」
 ナルトは本当に笑った。ナルトの手を掴む力が緩む。イルカの顔が歪む。しかし、無理に笑顔を浮かべていた。笑っているナルトの顔をじっくりと見る。
「…お前がそんな顔して笑うの忘れてたよ…」
 罰が当たったんだとイルカは思う。ナルトを無理矢理手に入れた。
 すまなそうに俯くナルト。
「俺、酷い奴だってば。恨んでもいい。でも、俺やっぱりイルカ先生の気持ちに答えられない。俺、カカシ先生が好きなんだってば。言い逃れでも何でもない」
「うん。お前の笑顔で判った」
「イルカ先生のは。イルカ先生の好きって重すぎる。俺、重すぎて受け取れないし、返すくらいの好きもないってばよ。それに、無理矢理やられたのは許せないってば」
「ごめん」
 初めてイルカがその事について謝ったのでナルトは嬉しそうに微笑む。するりと魚の様にイルカの腕の中から擦り抜ける。イルカはその後ろ姿を見ていた。
 口では諦めるといったものの、心は諦め切れない。ナルトの後ろ姿を見ながら何度も諦めなくてはと言い聞かせる。
「イルカ。仕事だぞ」
 アスマが肩を叩いた拍子に一粒涙がこぼれたが、平気だと言い聞かせてアスマに向き直る。
「アスマさん。俺、かっこいい?」
 横目でイルカを見るとアスマは笑った。
「俺よりはかっこ悪いよ。だって俺がかっこ良過ぎるから」
 うははははは。と笑い声を響かせアスマは子供達の輪に向かった。しょうがないなあと呆れながら、アスマの馬鹿げた言葉にほっとしている自分を感じる。固まったした心を柔らかくしたいから。
 振られればいい。正直な思い。イルカはナルトを探した。どこへいってしまったのかしまったのか姿が見えない。
 ふられて自分の元に戻って来ればいいと、思うのだが、それは無いことだと判っている。カカシはナルトを愛しているのだから。
 目を子供達に戻した。

 ナルトはカカシを探して走っていた。カカシは何処へ行ったのかさっぱり見つからない。何時もならナルトのすぐ側にいるのに。こんなに苛々する気持ちは初めてだ。
 人混みの中ナルトはカカシを探していた。
「好きだってば」その一言を伝える為に。


           終わり。

*この作品は7、8年前に出した同人誌Greenの中の小説Reliefをリメイクしたものです。

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