竹谷八左衛門と不破雷蔵の話
二年生か三年生の時、竹谷八左衛門は不破雷蔵に聞いたことがある。
鉢屋三郎に勝手に顔を使われて嫌じゃないのかと。
「八は鏡ってしょっちゅう見てる?」
昼下がりのろ組みの教室。飯も食い終わって皆銘々に時を過ごしていた。大半は外に遊びに行っていたが、数名は室内で静かに時を過ごしていた。何時もなら外に遊びに行く雷蔵と八も今日は室内に残ってる。雷蔵は読みたい本があったからで、八は実習中に左手首を捻挫して新野先生に二、三日安静にしろときつく言われたからだ。三郎は誘われて表に遊びにでている。
「んー? 鏡? 朝くらいかなあ」
「私も朝だけだよ」
「それと三郎に顔を貸すのとどう関係があるんだよ」
本を読んでる雷蔵の顔を覗き込むと、そうだなあと雷蔵は考え込んだ。
「自分が話してる時の顔とか、笑った時の顔とか知ってる?」
「うーん。見たこと無いかもなあ。女じゃないしあんま鏡興味ないし」
「私には歳の近い従兄弟がいてね。双子じゃないかって言うくらい似ていてね。回りはそういうけど当人達は「どこが?」って思ってた。ある時ね、母親の鏡が出ていて、そこに私達が写ってるのが見えたんだ。自分だと思ったほうがその従兄弟で、従兄弟だと思っていたのが私だった」
「え? 何前例あるわけ? それで慣れちゃった?」
「前例なのかな? まあ、それで、似てるなあと思ったんだけどね」
「それで?」
「? それだけ」
唐突に話が終わって竹谷八左衛門はキョトンと雷蔵を見た後「ええ?」と不満そうな声をあげた。何か関係のある話でもするのかと思っていただけに肩透かし感が強すぎて、何度もそれだけかと雷蔵に確認してしまう。
「何が言いたいんだ? その話」
「え? いや、そっくりだって言われて思い出しただけ」
「なんかさー。こう、これがきっかけとかないわけ?」
「別に、無いね」
がっくりして八左衛門は机に突っ伏した。瞬間、頭部が挫いた左手首に当たったので飛び上がる勢いで痛がった。
「ああ。顔を使われるのは嫌じゃないかって話だっけ?」
「そうだよ!」
「別に嫌じゃないよ」
「俺だったら嫌だなあ」
「だってさあ、しゃべってる時とか笑ってる時の自分の顔なんて見ないもの。確かに似てるとは思うけどさ、自分がそういう風に話してたり笑ってたりしてるかどうかわからないし、一緒に鏡か水面に映るかしないかぎり私は自分の顔に似てるとは自分では思わないんだよ。それにやはり表情とかはどうしても地が出てしまうものだからね。だから私から見た私の変装をした三郎の顔は鉢屋三郎の顔であって、私の顔ではないんだ」
意味がわからず八は目をぱちくりとしていた。雷蔵のいった言葉を理解しようとするが、良くわからず眉間にしわを寄せてもう一度雷蔵の言葉を考える。
「私は自分の顔を「そっくりだ」と三郎に言えるほど鏡を見て自分の顔を確認していないんだよ。だから三郎が誰かに変装した姿を見たほうが凄いなあとは思うけどね」
「そんなもの?」
「そんなものさ。だけど、時々私の振りをして悪戯するのは困りものだけどね。他人の目から見たら三郎は私だし」
ふうとため息をついて雷蔵は本を置く。
「他人の目はそっくりに見えてるみたいだけど、私は似てるとは思えないね。あんなにあっけらかんと笑えるものでないし」
「そうかあ?」
そんなものだよと雷蔵は頷いて机に伏した。
「なんだよー寝ちゃうのかよ」
「読む気が失せた」
「え? 俺のせい? ちょ、まじ止めてよそーいうの。俺、傷つくだろ」
「八の心の傷なんか、知らないよ」
「知ってくれよ。俺、繊細なんだからさ!」
繊細な奴は自分が繊細だなんて口にしないよと突っ込みを入れ、八左衛門を無視し雷蔵は残り時間を満喫すべく寝に入る。八左衛門はそうはさせまいとするのだが、一度寝に入ってしまうと授業の鐘が鳴るまで雷蔵はおきない。
仕舞いには八左衛門も雷蔵の机で寝息を立てていた。
おわり